8月27日(火曜日)
「批判はしたけれど自分にできるだろうか」あいだみつを

にんげんは、自分を棚に上げて、他人を批判したくなるようだ。 なぜなら、一番かわいいのが自分で、その次が自分の連れ合いだ。3番目が自分を産んでくれた親ではなく、自分の子供だ。4番目が親であるという親不孝なのがにんげんの本性だ。5番目が親族で、6番目が他人だ。
だから、他人をほめると言うことは、本心ではできないのが人間だ。
他人をほめている人間を見ると、その裏を読んでしまう。
批判ばかり書いているブログを見ると安心する。
そこのブロガーは、人間の本性丸出しで、正直者だと思う。
自分でできることなんか、ちっちゃな事である。
日本の政治を変えることなんかできやしない。
一票を入れたからと言って、その候補者が当選するとは限らない。
だから、いい加減な事をやっている政治家の批判だけでもしてあげようと思う。
大学時代、友達と既成のセクトでなく「綱常会」なるものを作ろうとしたことがある。「三綱五常にして人の道なり」なんていう儒教の言葉を引っ張り出してきて、「革マル派」や「中核派」と戦おうとした。友達が勝共連合だったことを後で知った。共産主義を排除するために、共産主義の勉強しているうちに、「共産主義はいいものなんだ」言うことになってしまった。馬鹿の集団だった。
応援団長の先輩は、現役の中学校の教員だったが、民主青年同盟に乗っ取られた学生会館の屋上に、腰に日本刀を携えて、毎朝来て、日の丸を掲げた。もちろん大きな声で君が代を歌っていた。尊皇攘夷発祥の土地「水戸っぽ」には右翼がごろごろしていた。
にんげんいろいろだ。
批判ばかりしていた民主党が、いざ政権与党となると、何もできなかった。
かれらは、自分たちができないこともわからないで批判だけをしていた愚か者集団だった。
私はかれらよりは、まだましだ。
間違いなく、自分には何もできないことを知っているからだ。
「無知の知」というやつだ。
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