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Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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日本の先生、世界一多忙なのに指導には胸張れない

 
■朝練、授業、生徒会・提出物点検…学校に15時間半
 
 『千葉県郊外のニュータウン。空気に冷たさが残る午前6時40分、女性教諭(40)の運転する車が勤務先の公立中に着いた。
 
 私立高に勤めた後、公立中教員になって7年目。教科は国語、2年生の担任を持ち、男子ソフトテニス部の顧問だ。7時20分からの朝練に備え、ほぼ毎朝、この時間に出勤する。約30人の部員に目を配っていると、腹痛で練習を休む生徒の保護者から携帯に電話がかかってきた。
 
 8時15分に担任のクラスで朝の会。体調が悪く教室に入るのをためらっていた女子生徒が、廊下にうずくまった。肩をポンポンとたたきながら声をかけ、保健室に連れていった。
 
 1、2時間目は授業。定期テストの答案を返して平均点や課題を説く。休み時間も採点について尋ねてくる生徒とやりとりが続く。
 
 授業がない3、4時間目、職員室で提出物の点検に取りかかった。毎日提出させる生活ノートや家庭学習帳、定期テスト期間中の学習計画表。いずれもクラスの約30人分ある。生活ノートには赤ペンで必ず一言コメントを書き込む。合間には保健室をのぞいて女子生徒に声をかける。
 
 給食の時間。「たくさん残ってるよ」と声をかけながら鍋を持って生徒の机を回り、ニョッキのトマト煮のお代わりをよそう。やっといすに座ると、給食終了時刻まで7~8分。揚げパンとおかずをかき込んだ。
 
 5、6時間目の授業後、この日は生徒会の委員会活動があった。教諭は生活委員会の担当。服装やあいさつなどの課題や反省点を出し合う話し合いに時折、アドバイスする。終わると部活のためテニスコートへ。最終下校時刻の午後6時15分まで練習を見守った。
 
 職員室に戻って間もない午後7時近く。長期欠席で日中は来られない受け持ちの女子生徒が、母親に付き添われて登校してきた。他の生徒が帰った後、登校できる日は来る。教室でテストを返したりしながら30分ほど過ごした。
 
 午後9時を回った職員室。提出物の点検はまだ終わらない。23人の教員中7人が残っている。「帰りたいけど、終わらない」とつぶやく別の女性教員、「おれ仕事が立て込んで学校に泊まったことありますよ」と話す男性教員。教諭は買い置きのチョコクッキーを取り出して他の教員にも配ると、自分も二つ口にした。「早く帰ってくださいよ」と言いながら教頭が引き揚げたのはこのあとだ。
 
 結局この日教諭が学校を後にしたのは午後10時を過ぎていた。
 
土日は部活の大会や練習があり、6月に学校に出なかったのは上旬の日曜1回だけという。定期テスト前後は問題作りや採点で夜9時、10時までかかり、日曜もつぶれる。
 
 長時間にわたる勤務は、「教員の数が増えないことには解決しないのではないか」と言う。教材研究の時間などがもう少しあればとも思うが、今の学校は風通しがよく、働きやすい。「自分の指導でどれだけ学ぶ力が引き出せているか自信はないが、生徒の役に立つ指導は心がけているつもりです」。淡々と語った。』
 
 
 
教員というのは、やればやるほど仕事が湧いてくる。
私の妻も教員2年目の時に、小学校1年生の担任となった。
24歳の時である。
結婚した年である。
妊娠した妻は、一日中走り回っていた。
げ○をした子やう○こをもらした子の世話など日常茶飯事だった。
 
通常は、小学校1年生の担任は、ベテラン教師が受け持った。
当時の校長先生は、妻を高く評価してくれたのか教員2年目の彼女を抜擢した。
 
妊娠5ヶ月目に、妻は切迫流産になった。
その後、絶対安静で産婦人科に入院し、無事男の子を出産した。
しかし、息子はミルクを飲むことが出来なかった。
「全大腸神経束欠損症」という先天異常で生まれた。
 
そして、生まれて一ヶ月目で、大手術の夜に腹膜炎を起こし、この世を去った。
妻は、退院後に仕事に復帰して、今まで以上に働いた。
 
3年目の時は、中学校3年生の担任となった。
転勤した仲人のような校長先生が、中学校に転任していて、相談に行ったら自分の居る学校に妻を引っ張ってしまった。
 
そして、妻を高く評価してくれたのか中学校3年生の担任にしてしまった。
 
妻は時々、こどもが可愛くないと言った。
昨年までちっちゃな小学校1年生の担任だったのに、次の年はニキビ面のひげの生えた中学校3年生の担任だ。
25才の教員3年目の女性には、すね毛の生えかかった中学生を可愛いとは思えないだろう。
 
それから教員を辞めるまでの30年間、陸上部の顧問として、一年中真っ黒な顔で働いた。
 
その後こどもは出来なかった。
 
ひょっとしたら教員になったことで、子供ができなかったのかも知れない。
 
 
 
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