『高倉健さんの死去を受け、主演映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地となった北海道夕張市などは18日、展示施設「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」(写真)を19日から今月末まで臨時オープンすると発表した。』
『 日本映画全盛期の1956年にデビューして半世紀余、日本を代表する俳優の高倉健さんが亡くなった。
自らを「不器用」と称し、武骨で人間味あふれる男の生き様をスクリーンやテレビで見せ続けた「健さん」。生涯205本の映画に出演し、映画を愛し続けた「最後の映画スター」だった。
高倉さんの所属する高倉プロモーションが18日昼前に発表した。高倉さんは次回作の準備中に体調不良で入院し、治療を続けていたが、10日未明、容体が急変して息を引き取ったという。発表文には「都内の病院で旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でした」と記されていた。
「あれだけ健康に留意していた健さんが私より先に亡くなるなんて」。映画「駅/STATION」の脚本を手がけた倉本聰さんは、沈痛な様子で語った。「自分より年下でも、相手が板前さんでもタクシー運転手でも駅員さんでも、きちんと立ち止まって礼をする人だった。プライベートを明かさない、俳優らしい最後の俳優だったかもしれない」と惜しんだ。
長年交遊があった俳優の千葉真一さんは新人時代、撮影所でスタッフとけんかをして俳優をやめようとした時、休みにもかかわらず一緒に撮影所内を謝りに歩いてくれたことがあるという。「人生においても俳優としても唯一尊敬し続けた方でした」と語った。
高倉さんが出演した「あゝ同期の桜」(67年)でメガホンをとった映画監督の中島貞夫さん(80)は「役作りに執念を持ち、役と一体になりきる人だった。存在をすべてかけて映画を撮っていた希有な俳優だった」と振り返った。
高倉さんは、俳優業を「生きるために出会った職業」と言い切った。映画で見せた、仁義を重んじ、男気に満ちたストイックな人物像。76年に東映を退社後も硬派のイメージはそのまま、「八甲田山」「動乱」で、明治の軍人や二・二六事件を主導する青年大尉を演じた。77年の山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」で若者たちと心を通わす元受刑者役で、ファン層を広げた。』
『18日、日本メディアによると、俳優の高倉健氏が悪性リンパ腫のため、10日に都内の病院で死去した。偉大な俳優の訃報に中国のネットでは数多くのコメントが寄せられている。写真は高倉氏の訃報に注目する中国のネットユーザー。 [ 拡大 ]
2014年11月18日、日本メディアによると、俳優の高倉健氏が悪性リンパ腫のため、10日に都内の病院で死去した。83歳だった。
高倉氏は紫綬褒章や文化功労者、文化勲章などを受賞した日本を代表する俳優で、日本のみならず、中国でも多くのファンを持っている。偉大な俳優の訃報に中国のネットでは数多くのコメントが寄せられている。
「倉健主演の日中合作映画『単騎、千里を走る』は強く印象に残っている。彼の代わりは誰にも務まらないし、マネすることもできない」
「男の中の男だ。日本人だが、素晴らしい俳優であることは間違いない」
「私が尊敬する数少ない日本人。一時代の象徴的な存在」
「芸術に国境はない。非常に素晴らしい俳優だった」
「日本の俳優で唯一好きな役者」
「多くの中国人に影響を与えた尊敬すべき人物」
「悪に立ち向かう男の力強さを確立した偉大な映画人で芸術家だ。安らかな眠りを心より祈る」
「小さいころに彼のドラマを見て日本が好きになった。庶民は政治に影響されるべきではない。平和を愛する日中の庶民は友好的に交流すべきだ」(翻訳・編集/内山)』
黄色いハンカチ

『刑務所帰りの中年男が、偶然出会った若い男女とともに妻の元へ向かうまでを描いた山田洋次監督によるロードムービー。過去を持つ主人公の物語と若いカップルのラブストーリーが北海道の四季とともにつづられ、1977年に公開されるや大ヒットを記録し、その年の映画賞を独占した。主演は名優・高倉健、その妻役に倍賞千恵子、製作当時映画初出演の武田鉄矢、桃井かおりらが共演。
あらすじ
新車を買って、あこがれの北海道をドライブする欽也(武田鉄矢)は、一人旅の朱美(桃井かおり)をナンパして二人で旅を続ける。途中、出所したばかりの中年男・勇作(高倉健)と知り合い、3人は旅を共にすることに。やがて勇作は、「自分を待っていてくれるなら、家の前に黄色いハンカチを掲げておいてくれ」と妻に手紙を書いたことを打ち明ける。 』
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