強化委員会

強化委員会 委員長 原田 康弘
「7年間にわたり、100メートル、200メートル、の他、400メートル、1600メートルリレーでトップを保持し続けました。」
1955年(昭和30年) 宮城県石巻市で誕生。
1974年(昭和49年) 日本体育大学入学。
1977年(昭和52年) 日本体育大学卒業。
1989年(平成元年) 日本陸連強化委員会男子短距離部長。
1997年(平成9年) 日本陸連女子短距離強化部長、日本代表短距離ヘッドコーチを歴任。
2012年(平成24年) 日本陸上競技連盟、強化委員会・委員長に昇任。
『強化委員会は、選手強化に関する(ユース、ジュニアを含む)強化基本方針の策定及び実施や、日本代表選手の選考案作成、強化競技者の指定、競技力向上のための環境整備、一貫性指導の研究と実践、協力団体強化委員会との連絡調整に関することを行っています。』
世界選手権の代表選手やオリンピック選手の選考は、強化委員会が中心となって、決める。
今回も原田氏が中心となって、決定したのだろう。
陸連の強化組織は、少し変わっている。
土井杏南選手

例えば、ロンドンオリンピックに、女子400mリレーで、日本初の高校生が選手に選ばれた。
当時埼玉栄の土井杏南選手であった。
同時に選手に選ばれた高橋萌木子選手も埼玉栄のOBであった。
リレーメンバー4人のうちの二人が埼玉栄出身であった。
当然ながらリレーの監督は、埼玉栄の清田監督であった。
当時の彼の肩書きは陸連強化委員会の短距離副部長であった。
高橋萌木子選手
部長は、年収が1千万円を超えていたそうだ。
オリンピック前に、何度も練習会が行われ、清田監督が中心となって調整練習を行ったという。もちろん彼は陸連からお金を貰っているわけでない。
二人を育てた高校の監督と言うことで、無償で奉仕したのである。
面白いことに、ロンドンオリンピックが行われた時に、彼は実費で応援に行った。
陸連からは、旅費どころかオリンピック会場の入場券すら貰えなかった。
肩書きだけが「短距離強化副部長」ということで、ただ働きさせられたのである。
それどころか、高橋萌木子選手が平成国際大学に進み、清田監督が短距離の指導をして、育ててきたのに、後輩の土井杏南選手は、清田先生の手を離れて、陸上部の短距離の実績のない大東文化大学に進路が決まっていた。
恐らく、陸連が裏で動いたに違いない。選手を奪い取ってしまったのである。
人の良い清田先生であっても、陸連の卑怯な裏工作に対しては、はらわたが煮えくり返ったに違いない。
相撲協会が腐っていると何度も改革を迫られた歴史があるが、陸連も同じような体質を持っているのだろう。
陸連の組織は、選手時代の実績で役職が決まる。
指導実績などは、まったく評価されない。
高校の指導者や監督がどんなに素晴らしい実績をあげ、選手を育成しても、彼らは評価しない。
なぜなら、自分の食いぶちを減らされることを恐れるからである。
増田明美選手を育て、オリンピック選手に育てたのは、成田高校の故滝田監督である。また、高橋選手をオリンピックで優勝させたのは、元高校の監督だった小出氏である。二人とも偉大な名伯楽であるが、陸連は、彼らを邪険にしてきた歴史がある。
増田明美選手や高橋選手と言えども、陸連に楯突けば、彼らはきっと卑怯な手段を使って、口封じを仕掛けてくるだろう。
陸連というのは、そのような組織である。
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