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200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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高橋尚子理事も憤慨する陸連の「マラソン代表選考の内情」


                                                           2015年3月22日 9時0分 東スポWeb   
 

『 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストで日本陸連の高橋尚子理事(42)が陸連のずさんな対応に悲痛な声を上げた。

 世界選手権(8月、北京)の女子マラソン代表選考は、昨年11月の横浜国際で優勝した田中智美(27=第一生命)が落選し、1月の大阪国際で3位(日本人トップ)だった重友梨佐(27=天満屋)が選ばれた。増田明美氏(51)が「おかしい!」とかみつき大騒動となったが20日、高橋氏も「憤慨している」と怒りの胸中を明かした。

 高橋氏の本音は「田中さんが一歩有利だったと思います」。ただ、不満は選考そのものではなく、陸連の姿勢に対してだ。代表選考は記者会見直前に最終決定機関の理事会に諮られた。高橋氏は即座に異議を唱えたが、陸連側は「強い人を選んだ」の一点張り。


重友梨佐(27=天満屋)              田中智美(27=第一生命)

       

「何の説明もなく(理事会で)決議をとられることはなかった。『強い人を選んだ』というひと言だと伝わらない。ちゃんと説明があれば、ここまで大きなものにはならかった」と高橋氏は首をひねる。


 さらに疑問を感じたのは今回が初めてではなかったという。一昨年に理事に就任した高橋氏は当初から大会によってペースメーカーの導入にばらつきがあることを問題視していた。「ペースメーカーがいるといないでは私自身、全然違う」。経験に基づく訴えだった。ところが、陸連は「1年前に決まったことなので無理です」と改善の気配は示さなかったという。

 力不足を痛感し理事として「このままやっていていいのだろうか」と進退も考えたが「もう少し(選手のために)できたかなと思う」と戦っていく気持ちが芽生えた。
 現状では田中も重友も“被害者”に変わりない。「重友さんが頑張れば評価される。でも、今のままの選手の気持ちはかわいそう」。高橋氏の発言は誰もが納得するもの。陸連の責任ある対応が求められる。』


強化委員会



強化委員会 委員長 原田 康弘

「7年間にわたり、100メートル、200メートル、の他、400メートル、1600メートルリレーでトップを保持し続けました。」

1955年(昭和30年) 宮城県石巻市で誕生。 
1974年(昭和49年) 日本体育大学入学。 
1977年(昭和52年) 日本体育大学卒業。 
1989年(平成元年) 日本陸連強化委員会男子短距離部長。 
1997年(平成9年) 日本陸連女子短距離強化部長、日本代表短距離ヘッドコーチを歴任。 
2012年(平成24年) 日本陸上競技連盟、強化委員会・委員長に昇任。 

『強化委員会は、選手強化に関する(ユース、ジュニアを含む)強化基本方針の策定及び実施や、日本代表選手の選考案作成、強化競技者の指定、競技力向上のための環境整備、一貫性指導の研究と実践、協力団体強化委員会との連絡調整に関することを行っています。』


世界選手権の代表選手やオリンピック選手の選考は、強化委員会が中心となって、決める。
今回も原田氏が中心となって、決定したのだろう。

陸連の強化組織は、少し変わっている。

土井杏南選手

例えば、ロンドンオリンピックに、女子400mリレーで、日本初の高校生が選手に選ばれた。
当時埼玉栄の土井杏南選手であった。

同時に選手に選ばれた高橋萌木子選手も埼玉栄のOBであった。

リレーメンバー4人のうちの二人が埼玉栄出身であった。
当然ながらリレーの監督は、埼玉栄の清田監督であった。
当時の彼の肩書きは陸連強化委員会の短距離副部長であった。

                                    高橋萌木子選手
部長は、年収が1千万円を超えていたそうだ。
オリンピック前に、何度も練習会が行われ、清田監督が中心となって調整練習を行ったという。もちろん彼は陸連からお金を貰っているわけでない。

二人を育てた高校の監督と言うことで、無償で奉仕したのである。

面白いことに、ロンドンオリンピックが行われた時に、彼は実費で応援に行った。
陸連からは、旅費どころかオリンピック会場の入場券すら貰えなかった。
肩書きだけが「短距離強化副部長」ということで、ただ働きさせられたのである。

それどころか、高橋萌木子選手が平成国際大学に進み、清田監督が短距離の指導をして、育ててきたのに、後輩の土井杏南選手は、清田先生の手を離れて、陸上部の短距離の実績のない大東文化大学に進路が決まっていた。
恐らく、陸連が裏で動いたに違いない。選手を奪い取ってしまったのである。

人の良い清田先生であっても、陸連の卑怯な裏工作に対しては、はらわたが煮えくり返ったに違いない。

相撲協会が腐っていると何度も改革を迫られた歴史があるが、陸連も同じような体質を持っているのだろう。



陸連の組織は、選手時代の実績で役職が決まる。
指導実績などは、まったく評価されない。
高校の指導者や監督がどんなに素晴らしい実績をあげ、選手を育成しても、彼らは評価しない。
なぜなら、自分の食いぶちを減らされることを恐れるからである。

増田明美選手を育て、オリンピック選手に育てたのは、成田高校の故滝田監督である。また、高橋選手をオリンピックで優勝させたのは、元高校の監督だった小出氏である。二人とも偉大な名伯楽であるが、陸連は、彼らを邪険にしてきた歴史がある。

増田明美選手や高橋選手と言えども、陸連に楯突けば、彼らはきっと卑怯な手段を使って、口封じを仕掛けてくるだろう。
陸連というのは、そのような組織である。











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