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Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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女優の生き方 川島なお美さん




『1年9カ月にわたった闘病生活は、抗がん剤治療ではなく、民間療法を選択。免疫力を向上させる食事療法などを取り入れた。

その理由を「抗がん剤の副作用でステージに立てなくなる可能性があるなら、私は最後まで女優として舞台に立ち続けたい」と周囲に明かしていた。

発表会での凄絶(せいぜつ)な姿も、女優として人生を全うする覚悟の表れだった。』



『川島さんの肝臓に小さな腫瘍が見つかったのは2013年夏ごろに受けた人間ドック。舞台出演を控えていたため、悩みに悩みぬいた末に翌14年1月28日に手術を受けた。

 川島さんは余命を宣告されていたといい、山田は「(13年の)7月ぐらいに、1年ですよ、と。(鎧塚さんは)7月から1月が悔やまれると言っていました。早く(病院に)行けばよかったと…」と明かし、肩を落とした。』


何日か前の川島さんのインタビュー姿を目の当たりにした時に、その凄絶な姿は相当に厳しい状態になっていることを容易に想像できた。
あれから何日も経たないのに、今回の死去の発表であった。

余命一年と宣告されたと言うことは、癌はステージ4の段階であったであろう。
一般には手遅れに近い末期的な段階である。

彼女の女優としての生き方が、手術に踏み切るまでに半年の時間を有したのだと思う。
回りの者にとっては、その半年を悔やむかも知れない。

しかし、女優としての彼女の人生の喜怒哀楽や生きる目的も、すべては女優でなければ満足することは出来なかったのだろう。

凡人の私には、容易には理解できないことである。
やがては、人生の最後を迎えるときが来るであろう。
その時には、どのような受け止め方をして、人生を閉じるのか。

父親の最後は、朝であった。
朝食を済ませ、自分の部屋で座椅子に座り、外を眺めながら一服し、朝寝するように、そのまま脳梗塞で逝った。
義姉は気がつかず、父の友だちが尋ねてきて、呼びかけても返事がなかったので、部屋に上がり込んで初めて、亡くなっていることに気づいたそうである。
「ぴんぴん、ころり」と逝った父であった。




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