昨年の玉ねぎ栽培は、見事に失敗した。
私だけでなかった。
一緒に菜園をやっている友達も隣の菜園仲間の年配者もことごとく失敗した。
それは、トウ立ちしてしまったことだ。
トウ立ちした玉ねぎの画像
トウ立ち 中心のトウ 中心が腐る
タマネギが大きくなりすぎると、トウ立ちしてネギ坊主を作る。
種を蒔く時期や施肥の量、気温などによって、タマネギの生育が影響を受ける。
昨年は、冬の温度が高かったのも原因であったようだ。
温暖化のせいかも知れない。
全国的にトウ立ちさせてしまって、玉ねぎつくりに失敗してしまった人が多かったようだ。
私も友達も、とにかく大きな玉ねぎを作ろうと思って、元肥をたくさん施した。
私の玉ねぎは種から育てたものであり、友達のは苗を購入したものである。
一昨年は、トウ立ちしたものもあったが、二人ともおおむね成功していた。
菜園仲間の年配者の場合には、種を蒔く時期が早すぎて、苗が大きくなりすぎたことが原因だったようだ。
友達の玉ねぎ用のマルチである。今年も500個予定している。
私の玉ねぎ用のマルチ、同様に500個分。
今年は、二人とも苦土石灰のみで、元肥は無しで準備した。
とにかく、施肥をできるだけ控えて、堅めに作ろうと考えている。
野菜作りは、とにかく難しい。
畑を準備して、種を蒔けば自然に育ち、収穫できると言う単純なものでない。
幼苗の時は、ヨトウ虫やネキリ虫の被害にあい、成長すれば青虫に食べられたり、うどんこ病やスス病にやられたり、まともに育てるのは大変である。
初めて菜園をやる者は「無農薬栽培をしよう」などと簡単に考える。
やってみて初めて、その大変さが実感できる。
スーパーに並んだ綺麗な野菜は、プロが研究に研究を重ねて育てた安全でおいしい野菜である。
畑で、後輩がサトイモの収穫をした。
昨年初めて作って、大収穫であった。
今年も昨年と同じように立派なサトイモとなった。
自信満々で、シャベルで一株掘り起こした。
子芋は大きいが孫イモが小さく、しかも数が少ない。
どうしたわけか。
理由がわからない。
肥料不足か水不足か、あるいは土かけが足りなかったか。
蔓ボケのように身体ばかりが大きくなって、根に養分が行きわたらなかったからか。
昨年が、たまたまよくできただけの話である。
野菜つくりの面白さは、その難しさにある。
何も考えずに、種を蒔いて、育てるだけで立派な野菜になることもある。
たまたますべての条件が上手く行ったことで、知らず知らずに豊作となっただけである。
もう何十年もやっているのに、毎年出来栄えが違う。
ミニ菜園で、毎年キュウリを5株作っている妻が笑う。
「私は、農家のおばあさんに、教えてもらったことを守ってやっているから、毎年同じようにできるわよ。」
妻のミニ菜園のキュウリ栽培
プロの農家は、大概同じものを何年も作っている。
ネギ農家は、毎年ネギを作る。
同じものを大量に作る。
妻も同じ。
キュウリしか作らない。
しかも1本300円近くする接ぎ木苗である。
同じ場所で作っているが、連作障害を起こさない。
なぜなら、毎年新しい土を混ぜ込んでいるから。
私が作っている野菜の種類は、40種類近くある。
苗は種から作っているものがほとんどである。
接ぎ木苗なんか買ったことが無い。
連作障害に弱く、病気にも弱い。
今年、にんにくの種が高いので、旬のにんにくがスーパーに並んだ時に種用に買った。中には傷ありのもので1個100円の物も3個ぐらい買った。
そして、種を埋めて芽が出たものを見て、愕然とした。
全部の葉っぱに、模様が出ている。
あれはバイラスだ。
病気である。
やっぱり種用のにんにくは、高いが病気が無く綺麗な芽がでる。
もっともバイラスぐらいでは枯れることは無いし、立派なにんにくになるだろうと、気持ちを切り替える。
昨年度は、種用の高いニンニクを購入して、栽培した。
収穫期まじかまでは、立派に育っていた。
しかし、4月に入って突然オレンジ色の赤さび病のような病気に罹った。
オレンジ色のぽつぽつが出るさび病
何とか食べる分は収穫できたが、期待はずれであった。
野菜つくりをしていると、自然相手に勝負しているようで、飽きが来ない。
負けてしまうことが多いが、時々びっくりするような素晴らしい野菜ができる。
その時の気持ちは何とも言い難い。
種を自家採種して喜び、綺麗な種になったと喜び、種を蒔いて芽が出たと喜ぶ。
野菜作りの喜びは、収穫時の結果だけではない。
結果だけなら、スーパーで買ったほうが安くて、おいしい野菜が手に入る。
土を耕し、有機質の葉っぱや野菜のくずを土に埋めて土を作る。
出来るだけ有機質の堆肥を施し、水はけがよく、保水性のある団粒構造の土にしていく。
耕耘機で耕した後の畑は、見ていてもふわふわ感があっていい。
次に何を植えようか、夢が膨らむ。
定年退職後に、田舎に古民家を買って、自給自足の生活を始める人がいる。
きっとその人も自然と一体になって、朝から晩まで充実した生活を送っているに違いない。
若いころは百姓が大嫌いだった父親が、60歳で仕事を辞めた後は、米作りを楽しんでいた。
その気持ちがよく理解できる年齢になった。