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のじさん

Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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世界有数の長寿国 日本の未来は?

                    2016530()80分配信 CIRCL
 
『世界でも有数の長寿国である日本。日本人の平均寿命は年々伸びている。しかし、日本人の平均寿命が長くなったのは、長い歴史から見ればつい最近のことだ。
 
 今回は、歴史をさかのぼりながら、私たち日本人の平均寿命の変化について見て行こう。
 
□過去の日本人の平均寿命の変遷 ~縄文時代~

 

 農耕民族である日本人が、まだ狩猟で食べ物を獲得していた縄文時代。出土された当時のものとされる骨の分析によれば、日本人の寿命は推定15歳だったという。
 
 まだ定住をしておらず、飢餓などが大きな死因とされている。


 
□過去の日本人の平均寿命の変遷 ~飛鳥時代から江戸時代~
 



 稲作が始まって、人々が定住するようになった飛鳥時代には、平均寿命が30歳になる。
 

 しかし、中国やその他の国との交流が始まったことで伝染病が広まった。現代のような医療に関する知識や技術はないので、人々は神仏に健康を祈る時代がしばらく続いた。




 
 江戸時代に入り、オランダなどヨーロッパとの交流も始まり、西洋医学が導入されると、人々の平均寿命は45歳となった
 



□終戦後からぐんぐん伸びた日本の平均寿命
 
 世界的に見ても、平均寿命が長いと言われる日本だが、実は戦後で日本の平均寿命は男性が50歳、女性が54歳だった。
 




 戦争が終わって社会情勢が安定し、経済成長により栄養状態も良くなったため、日本人の平均寿命は年々伸びていった。医療技術や予防医学も発達し、2015年、日本人の平均寿命は女性が87歳で世界1位、男性が80歳で世界8位となり、世界有数の長寿国となった。』


約1万年前の縄文時代の日本人の平均寿命は15歳だったと言う。
それから約8000年後の飛鳥時代には、平均寿命は30歳になった。
さらに時代は進んで江戸時代には、45歳となった。

戦後の昭和22年には、男性50歳、女性54歳の平均寿命となった。

戦争に負けた日本は、平和な時代が続き70年たった現在では、女性は世界1位の平均寿命となった。

さて、あと50年後の日本は、どんな社会になっているのだろうか。
平均寿命が100歳を超えてしまう老人大国になってしまうのか。
あるいは、貧乏老人が巷にあふれて、大量死してしまうのだろうか。

今までに日本が経験したことも無い超高齢化社会。
ぼけ老人と病人が巷にあふれかえっているのだろうか。
















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ミニゴルフ練習場のその後

家庭菜園のあるリフレッシュハウスの隣の林にミニゴルフ練習場を作った。

この場所は、以前はらんちゅう同好会の研究会を行っていた。
関東を中心に年に5回会員が集まって、らんちゅうの飼育方法の研究を行っていた。
月に一回、20名ぐらいが集まっていた。
杉林の中で、夏でも涼しい風が吹いていた。






この場所に、ゴルフのミニ練習場を作ったわけである。

ピッチングでの寄せの練習 



15ヤードぐらいの微妙な距離である



白い棒の立っているところにはホールも埋め込んだ
そして、半径1mの円を描いてみた


そして、こちらは打ちっぱなしのネットである



正面に的がほしいのだが、今考えているところである


私の課題は、ドライバーで飛距離を伸ばすことでは無い。
体力的に、飛距離を伸ばすのは難しい。
それよりもグリーン周りの寄せやパットの練習が中心である。

家庭菜園の仕事に飽きた時、気分転換に練習をするのである。

今日も寄せの練習を100球ずつ2セット行った。
先週はパターの練習もやったが、本日はピッチングだけの練習だった。

次に考えているのは、バンカーの練習場の設置である。

休日が楽しくなるように、遊び場所を色々と工夫している。


・・

5月28日の我が家の花壇

5月28日の我が家の花壇

昨日のこと。
妻に頼まれて、花壇の所でサツキの剪定をしていた。

すると、散歩途中の老夫婦が私たちに挨拶をしていった。
「いつも奇麗にしていて、通るたびに楽しんでいますよ。」と。

すると、15分ぐらいすると今度は、二人のご婦人が話しかけてきた。
「メダカはどうしましたか?いつもたくさんのメダカを見ているのですが。」と。
「メダカは、採卵していたのです。ほら、稚魚がたくさん孵っていますよ。」
「え~!! 私には見えないわ。」「私は見えるよ。」と。

左端のところにプラ舟にメダカを飼っている。
稚魚が300匹ぐらい孵っている。

通りに面している花壇は、散歩コースにしている人たちを楽しませているようだ。




メインはベラルゴニウムのミニ





この花は、3,4年前に園芸店で見つけて一目ぼれして購入したものである。
ゼラニウムは簡単に挿し木ができるが、このベラルゴニウムは、挿し木が難しい。
何本も挿し木してようやくつくと言う感じである。





右の段にはゼラニウム、ベコニアがひな壇を飾る。







右側のひな壇は、ピンクマーガレット、松葉菊、八重ベコニア。





らんちゅう 5月28日の様子

らんちゅうの28日の様子

4月21日に生まれたらんちゅうである。
例年なら5月の中旬に採卵する。
今年は約1か月ちかく早い。



しかしながら、オスの状態悪く受精したのはごくわずかであった。
数にして300匹ぐらいであった。
導入して初めての交配魚であり、種親として残すつもりで育てている。
第2弾は5月の連休に同じ親から生まれ、こちらは3000匹ぐらい孵化している。



現在の所、種魚としては十分に残せる感じである。
骨格や頭の深さは、まだわからないが全体の姿はきれいな魚である。





尾はどうやら4つ尾である。
種親に使うつもりなので、多少の傷は我慢して育てようと思う。


ハウストマトの引っ越し

ハウストマトの調子が悪い。
原因はハウスブドウのようである。



ハウスの上部の左右にはブドウの木を這わせてある。
そのブドウの木がだんだん大きくなってきて、光をさえぎってしまう。
そのため、真ん中付近に植えてあるトマトがヒョロヒョロとして痩せてしまっている。
そこで、画像右側にあった一列を別の場所に移した。


昨日一日がかりで作ったトマトの雨除け簡易ハウスである。
パイプは19㎜のオスメス合わせて14本。
1本約350円なり。全部で約5000円。
ビニールストッパー、50個900円。ビニールと直管は家にあったもの。





いつもなら相棒に作ってもらうのだが、今回は私が一人で作った。
多少見た目が悪いが、まあまあの出来だと自己満足。



台風の時などは、簡単に飛ばされてしまうだろうから、ビニールを一部外しておいて風の抵抗を少なくしようと考えている。


エストニアの「3つ子ランナー」、リオ五輪にそろって出場

ロイター 527()1851分配信
 
『 5月26日、エストニアでリリー、リーナ、レイラの「3つ子ランナー」がそろってリオデジャネイロ五輪に参加することになった(2016年 ロイター/Ints Kalnins
 
 


タルトゥ(エストニア) 26日 ロイター] - エストニアの「3つ子ランナー」が、そろってリオデジャネイロ五輪に参加することになった。
 

マラソン競技に出場するのはリリー、リーナ、レイラのルイク三姉妹で現在30歳。24歳の時から長距離走に本格的に取り組み始めたという。
 
 3人は「トリオ・トゥー・リオ」のスローガンを掲げ、五輪を目指して練習に励み、見事3人での出場という夢をかなえた。
 


 五輪において双子の参加はそれほど珍しくないが、ルイク三姉妹は初めての3つ子アスリートとなる。』 .



『総人口は140万人くらいで、エストニア人68パーセント、
ロシア人26パーセント、そのほかの民族が生活している。
エストニアは、もとはロシア連邦の一部でしたが、1991年に独立したのです。

国土の総面積は、日本で言えば九州くらいの広さですかね。』



『森がとっても多いです、まさに森林の国といった感じです。
逆に高い山がほとんど無いねぇ。
ひらべったい土地で、そこに湖と湿原があちらこちらにあるというイメージを、思い浮かべてくだされ。』








『タルトゥにはエマユギ川という自然の川が流れており、古代から海運に活用されてきたようです。』




『ラエコヤプラッツという、タリンにある広場と同じ名前の広場に出てきました。ここにはキスの像という像があります。噴水の水が男女の像を美しく彩っています













オバマ米大統領 広島平和記念公園での演説全文

 

 オバマ米大統領が広島の平和記念公園を訪れ、演説を行った。演説内容は以下の通り。
 

『 「それほど遠くない過去に起きたことを深く考えるためにここにやって来ました。また死者を悼み、10万人も超える日本の国民の方たち、何千人もの韓国、朝鮮人の方たちがここで命を落としました。その魂が私たちに語りかけています。 もっと内側を見て、私たちが一体何者かを振り返るように、そして今、どのようになろうとしているかを語りかけています。
 
 戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争が古くから行われている。石ややりなどが使われました。これは単に狩りのためにではなく、自分たち人類を殺すためにこのような武器が使われてきました。どの大意においても、どの歴史においても、あらゆる文明は、金を求め、民族主義から、あるいは宗教的な理由から戦争が起こってきました。
 
 帝国が台頭し、また衰退しました。そして人々が奴隷になり、解放されてきました。それぞれの歴史の転換点において罪のない人々が苦しみました。多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は時がたつと忘れられました。世界大戦は広島、長崎で大変残虐的に終わりました。
 
文明はすばらしいものを創出してきました。しかし同じところから戦争は出てきました。征服をしたい、という思い。非常に単純な部族からも出てきました。つまり古いパターンが新しい能力によってさらに増幅されてきました。そしてそこには制約が働きませんでした。
 
 ほんの数年の間に6千万人の人が亡くなりました。男性、女性、子供たち。私たちとまったく変わるところがない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、また拘束され、またガス室に送られて亡くなっていきました。世界中にはこの戦争を記したところたくさんあります。慰霊碑がいろいろな英雄的な行いなども示している。空っぽな収容所だとか、そういったことを物語っています」
 
「原爆が落とされたときに思いはせています」「歴史を見据えなければならない」
 
 

私たちの偉大な宗教は愛や慈しみを説いていますが、それが決して殺す理由になってはいけないのです。国が台頭し、いろいろな犠牲が生まれ、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。
 
 科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをし、空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとしていますが、このような科学が非常に効率的な殺人の道具となってしまうことがあります。
 

 しかし現代の社会は私たちに真理を教えています。広島はこの真理を伝えています。だからこそ今ここに立っているのです。
 
 私たちはこの広島の真ん中に立ち、私たちは思いをはせます。この原爆が落とされたときに思いをはせています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは罪のない人々が殺された、このむごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、これからの戦争の犠牲者に思いをはせます。そして歴史を真っ向から見据えなくてはなりません」
 

「日米の同盟は戦争がもたらしたものでもある」「暴力的な競争をすべきではない」
 
「われわれは一体何を違った風にやらなければならないのか。そしてそのような苦しみを再発させないようにするにはどうしたら良いのかということを自問しなければなりません。いつの日か被爆者の声はなくなっていきます。1945年8月6日の苦しみは決して消えるものではありません。記憶によって慢心というものと闘わなければなりません。
 

 それは私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなります。そして私たちに変化を促すものとなります。そして運命の日以来、私たちは希望を与える選択を行ってきました。アメリカ合衆国、そして日本は同盟を結んだだけではなく、友情を育んできました。それは本当に戦争がもたらしたものであります。
 
 欧州では連合をつくりました。商業、民主主義によって結ばれています。国そして国民が開放というものを求めています。そしてさまざまな戦争を避けるための制度、条約が出てきました。そして制約をかけ、後退させ、ひいては核兵器を廃絶させことへ導くものです。
 

 それにも関わらず国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐性、抑圧、そうした世界中で目にするものは私たちが行うことに終わりがないことを示しています。人類が悪を行うことを廃絶することはできないかもしれません。そして同盟というものは私たち自分自身を守るための道具を持たなければならない。核兵器を持っているわが国のように私たちは勇気を持たなければならない。そしてこういった恐れのロジックから私たちは自由になっていかなければなりません。
 
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし可能性は追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この死の道具が狂信的な人たちに渡らないようにしなくてはなりません。
 
 しかしそれだけは十分でありません。世界には原始的なライフルであっても、原始的な道具であっても、破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなければなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交手段によって解決するということが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。平和的な協力をしていくことが重要で、暴力的な競争をすべきではありません。私たちは築き上げていかなければなりません。破壊をしてはならないのです」
 
「過去から学ぶことができる」「世界は広島によって一変した」
 

 
 「同じ人類の一員としてつながりを再び確認する必要があります。このつながりこそが人類を独自のものにしているのです。私たち人類は過去に過ちを犯してきましたが、しかし過去から学ぶことができます。子供たちに対し別の道があるのだということを語ることができます。共通の人類、戦争が起こらない世界、残虐性をたやすく受け入れない世界をつくっていくことができます。
 

こういった話は被爆者の方たちが語ってくださっています。米国の犠牲も、日本の犠牲も同じ意味を持っています。米国の物語は簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして持って生まれた権利がある。そして幸福を希求する権利です。
 
 しかし、それを現実のものにするのは米国内であっても、米国人であっても決して簡単なことではありません。しかし、あくまでも真実であるということが非常に重要です。そして努力をしなければならない理想であり、そして全大陸、すべての国に必要なものであります。そしてすべての人命が貴重であるということです。
 
 私たちは一つの家族の一部であるという考え方があります。それが私たちが伝えていかなければならない物語です。だからこそ私は広島に来たのです。そして私たちが愛している人たちのことを考え、朝起きてすぐの子供たちの笑顔、また配偶者の食卓をはさんだ優しいふれあい、親からの優しい抱擁、そういったことを考え、そういった素晴らしい瞬間というものが71年前にもここにあったんだということを考えることができます。亡くなった方々は私たちとまったく変わらない人たちでした。一般な方はそういったことを理解できると思います。
 
もはやこれ以上、戦争を望んではいません。科学をもっと人類を発達させることに使ってほしいと思います。国家のリーダーが選択をして反省するとき、この単純な知恵というものが広島から得られるでしょう。
 

 世界はこの広島によって一変しました。しかし、今日、この広島の子供たちは平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は守る価値があります。それを、すべての子供たちに広げていく必要があります。この未来こそが私たちが選択する未来です。広島と長崎は未来において、核戦争の地ではなく私たちの道義的な目覚めの地として知られるでしょう」
 
=NHKの同時通訳などによる。』(了)

日本、2020年から小学校でプログラミングを必修化へ

                              2016525 1412分 マイナビニュース  
 


fossBytes524(米国時間)に掲載された記事「JapanJust Made Computer Programming A Compulsory Subject In Its Schools」が、The Japan Newsに掲載された記事を引用する形で、2020年から日本の小学校においてプログラミング学習が必修化されると伝えた。


2021年には中学校で、2022年には高校でそれぞれプログラミング教育が強化される見通しであることも言及されている。
 

TheJapan Newsのニュースは、日本政府が519日に発表した成長戦略の素案に基づくもの。


この素案によると、第4次産業革命を支える人材育成・教育施策・初等中等教育でのアクティブ・ラーニングの視点による学習、ITを効果的に活用した個に応じた習熟度別学習指導(アダプティブ・ラーニング)、発達段階に即したプログラミング教育の必修化など情報活用能力の育成の徹底を図るため、2020年度から順次開始される新しい学習指導要領の見直しを行うという。小学校は2020年度から、中学校は21年度から、高校は22年度から、プログラミング教育の必修化が計画されている。
 
記事では、同様の取り組みとしてイスラエルの高校でプログラミング学習が必修化されたことや、英国における取り組み、中国における取り組みなどについても触れている。米国政府もコンピュータ科学教育に予算を投入する計画を発表するなど、こうした取り組みの強化へ向けた動きを見せている。
 
すでに、これまで中学校では技術などの科目でプログラミングを教える授業が設けられているほか、記事には古河市や高雄市における小学校でのプログラミング教育の取り組みの例なども紹介されている。

2020年以降、こうした取り組みが強化されることになる。』(後藤大地)




勉強には全然興味を示さない塾生の男子がいる。
しかし、彼はスマホの使い方は何でも知っている感じがする。

社会科が得意だと言っている彼は、ラップ調で歴史を歌うアプリを使っている。
一度彼に聞かされたが、確かに歴史の歌詞である。

スマホを使っているが、今では何でもできるようだ。
私のスマホは、インターネットの代わりに使っているのが主である。
海外旅行をするとき、音声入力のできる翻訳アプリは優れものである。
スマホ一台で、簡単なコミュニケーションが出来そうだ。

記事では、『日本の小学校においてプログラミング学習が必修化されると伝えた。』とあるが、それもありだと思う。










ハウストマトの現在

5月24日のハウストマトの現在の様子

昨年度は、連作障害を嫌いプランターでの栽培であった。
今年は、時期をずらして栽培するため3列だけを作付けた。



一見順調に成長しているように見えるが、露地栽培の物と比べると明らかにヒョロヒョロと痩せている。
それは、ブドウが原因である。
ブドウはハウスの上の両側を這わせ、トマトは中央とすみ分けているが、ここの所ブドウの木の生長が著しく、採光がさえぎられてしまっている。

第二弾は、露地栽培に切り替えようと考えている。


路地では雨除けのミニハウスのようなものが必要である。
トマトは雨に弱く、特に大玉トマトは雨にあたると割れてしまったり、病気になってしまってほとんど食べられなくなってしまう。

雨除けハウスのイメージ画像



雨除けの簡易ビニールハウスは、ジョイフルホンダで支柱が売られている。
ビニールを止めるストッパーなども必要だ。
19㎜の直管は何本かあるので、アーチの部分を買ってくれば簡単に作れそうだ。

野菜にとっては一番の栄養は太陽の光である。
太陽の光をいっぱいに浴びる露地栽培でのトマトはきっとおいしいに違いない。

・・

ハウスブドウの現在

5月24日 ハウスブドウの現在の様子

今気になっているのは、ブドウの着果率である。
ブドウの花が咲きどのくらいが着果し、落ちてしまうのか。
昨年は「花ぶるい」と言う現象でこの時期にポロポロと実が落ちてしまった。

ピオーネの全体画像



この房は着果しているようだ



この房は花ぶるいが起こっているようだ



この房はしっかりと着果している



こちらの房も大丈夫である



こちらは巨峰の房であるがしっかり着果している




今年は、おおむね着果率は良いようである。
特に枝が太くしっかりしているところに付いた房は大きくしっかりと着果している。一方、枝が細いところのものは着果率が悪いようだ。

全体的に今年は上手く行っている感じがする。


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