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のじさん

Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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福岡県には「猫の島」と呼ばれる猫天国が存在する



『九州と本州を隔てる関門海峡の北西に「藍島(あいのしま)」という離島が存在するのをご存知だろうか。通称「猫の島」。猫好きの人からしたら「天国」のような場所である。
 
今や観光地となっている「藍島」だが、行ったことがなく、どれほどの天国かわからない人も数多いに違いない。そこで! 実際に足を運んでみて、そのヘブン度を確認してきたぞ!』
 





『2016/03/28 に公開  視聴回数 103 回
福岡県、玄界灘に相島(あいのしま)があります。
周囲は約6Km、人口300人ほどの小さな島ですが、最近、猫の島として有名になり、­その猫に癒されに多くの観光客がやって来てます。猫たちはとても人に慣れていて、すぐ­に友達になれました。』




    のじさん家のみみ


『 近年、猫が登場する映画、ドラマ、CMが急増している。先述の一連の映画もそうだが、ドラマでも先月BSジャパンで放送された『猫とコワモテ』も話題となった。俳優・田中要次がひたすら猫と戯れるだけのドラマで、セリフもほとんどない。ただ猫の可愛さを観るだけのドラマと言ってもいいだろう。


 


 CMでも、Ymobileの「ふてネコ」シリーズや、YKK APの窓シリーズに出てくるマッサージする猫、今年のライザップの「でぶネコ」からYouTubeで流れるジャパンネット銀行の猫だらけのCMなど、猫好きにはたまらないCMが増え続け、ここ1年で猫のCM1.5倍になっているという。実際、猫関係グッズの売上などの経済的影響もうなぎ昇りで、25日に関西大学名誉教授・宮本勝浩氏が発表したレポート「ネコノミクスの経済効果」の試算によると、2015年の1年間でその金額は23162億円にものぼるというのである。』

のじさん家のみみ


のじさん家のみみ




今のところイヌが勝っているようだが、猫が一番になるのは時間の問題のようだ。
私はほんとうは犬が好きだけど、散歩させないといけないので猫にした。

きっかけは30年ほど前のこと。
セブンイレブンと言われていた変な学校に転勤となり、11時ぐらいにならないと家に帰れない状態が続いた。
子どものいない我が家では妻が一人で私を待っていた。
ある時に、妻に相談もせず勝手に猫をプレゼントした。
プレゼントしたのは、子猫二匹である。
一匹はシャムネコ、もう一匹はヒマラヤンの雑種であった。

「どうするの?このネコ、誰が飼うの?私は飼ったことないから知らないよ。」

「いいよ。オレが飼うから。」

次の朝は私が餌をやり出勤した。
餌は猫と一緒に持ち帰っていたから家にある。
さて、私が帰る夜の11時ごろまで、お腹を空かせたネコをそのままにしておけるか。

私が帰った時には、案の定、妻が猫に餌をやっていた。

「あれ?ネコに餌をあげたの?」

「だって、ずっと鳴いているんだものあげたわよ。」

それ以来現在まで猫の世話は、妻がしている。

そのため、我が家の猫は、代々私にはちっとも懐かない。






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胡蝶蘭が満開

妻が丹精込めて育てている胡蝶蘭の花が満開である。



妻には胡蝶蘭の栽培と鑑賞にこだわりがある。

胡蝶蘭は常温での栽培が容易であること。
花が艶やかで長い間咲いていること。
一番のこだわりは、購入するときは定価では買わない。
花が終わりかけた頃のバーゲンの値段が1000円を切った時に、自分の気に入った花があれば買うのである。




胡蝶蘭を育てるきっかけとなったのが、隣にできた介護施設の介護士さんから花の相談を受けたことである。
施設開設のお祝いに頂いた胡蝶蘭が枯れかけてしまったので、何とかならないかと相談され、1年間預かって面倒を見た。
そして、見事に復活した花を戻したら、面倒を見きれないのでどうぞ差し上げますと、頂いてしまったのである。

ダメになった胡蝶蘭を1年かけて復活させた喜びと花の美しさは特別なものだったに違いない。
ある時に園芸店の蘭コーナーの片隅に終わりかけた鉢植えのものを発見した。
花は1花か2花しか咲いていなかったが、その株立ちと値段の安さに魅力を感じて購入した。
1年後に見事に花が咲いた。

大輪の紫の花 最初に我が家に来た胡蝶蘭



2,3年前に妻の条件をクリアーして家族となった花




このオレンジの花は、私がプレゼントした花である。
妻がほしがっていたが条件が合わなくて迷っていた。




近所に住む亡きおばあちゃんの形見の花である。
小さな花であるが花数が多く、豪華である。
毎年花が咲くと届けてあげた胡蝶蘭の花である。



4月下旬 苗の状態

野菜作りのポリシー
出来るだけ自給自足を目指す。
理想的なのが「自家採種」であるが、なかなか固定種を手に入れるのが難しい。
最近では、100均で2袋で108円で売っている。
しかし、まだまだおいしい野菜の種はそろってはいない。
おいしい野菜の種が手に入らない場合には、スーパーやホームセンター等で買う。

100均の種から育てたかぼちゃの苗



・100均の種  地這いキュウリ


・100均の種 枝豆


・100均の種 大玉トマト


・100均の種 中玉トマト


・自家採種の種 つる有りインゲン


・自家採種の種 ゴーヤ2種類 丸型と長太型


・自家採種の種 オクラ


・ジョイフルホンダで購入した種 黒玉スイカ


・100均の種 地這きゅうり第2弾


・100均の種 早生ピーマン


・自家採種の種 日光トウガラシ


・その他に、自家採種の種 シシトウ3種 ミニトウガラシがある。・・・

ハウスブドウ 4月29日の様子

ハウスブドウ 4月29日の様子

ピオーネ 実が成り出して3年目となった。




この時期の作業は、房づくりの作業である。
ブドウは花蕾が多いと、養分が分散されて結実不良になりやすいと言う。
それを回避するために花穂の一部を切り取る。
この作業は開花しかけた頃までに行う。

        花蕾が3個       →    花蕾を1個にする

 

  花蕾が左上と下に2個ある    →  上の花蕾を摘果し、下を整える

 

ピオーネは、全体で50房以上の花蕾がついている。
ほとんど1結果枝に2個の花蕾がついている。
これから花が咲くころまでに、花蕾のしっかりしたほうの1房を残すようにする。

昨年は、一気にこの作業をしてしまったが「花ぶるい」と言う現象がのちに起こってしまい、一房に10粒ぐらいの果粒数になってしまった。
今年は、それも予想しながらじっくりと作業を進めていく。

今日から始まった10連休の初日は、畑でいろいろな作業をしながら楽しんだ。


「運は創るものー私の履歴書」似鳥昭雄

 
『先日4月22日、大塚家具の創業者である大塚勝久前会長が高価格路線で新たに出店した「匠大塚」がオープンしました。同時に大塚久美子氏が率いる現大塚家具が「大感謝祭」を期間限定で開始。昨年から続く親子戦争の第2幕が開きました。

こうした騒動を横目に、3兆円とも言われる家具市場で29期連続という途方も無い記録を続けている企業があります。

製造物流小売業を標榜する「ニトリ」です。創業者にして、現会長である似鳥昭雄氏が日経新聞での連載に大幅加筆し、書籍化したのが本書です。
 

運は創るもの ―私の履歴書
運は創るもの ―私の履歴書 [単行本]
似鳥 昭雄
日本経済新聞出版社
2015-08-26
 
本書は、札幌の片隅で創業した似鳥家具店が、29期連続増収増益を果たす一大企業にのし上がるまでの一代記です。戦後のヤミ米販売からスタートする波乱万丈の壮絶な回顧録から始まり、何度も経営危機に見われながらも、得意の実行力で切り抜けていく有り様が自らの言葉で綴られています。

そうした唯一無二の経験から掴み取った独自の経営指針が随所に散りばめられており、参考になるポイントを4つご紹介します。
 
 <目次>
 1章 勉強嫌いの落ちこぼれ
 2章 歌手になろうとした青春時代
 3章 何をやってもうまくいかない
 4章 日本に「豊かな生活」を実現したい
 5章 師匠の教えを指針に
 6章 試練は終わらない
 7章 ロマンとビジョン、愛嬌と度胸
 
 
Ⅰ 経験でものを語らない
 
最初に経験でものを語らない。まず顧客にとって必要なことは何かを突き詰める。その上で自分の経験で判断し、決断する。「業界ではこうだった」とか「自分の経験ではこうだった」とか、最初に過去の成功方程式を出したら終わりだ。(P136
これは誰しもが思い当たるところではないでしょうか。人は誰しも年齢を重ねるとどうしても自らの経験値で物事を推し量りたくなるものです。結果的に良い方へ転がることもありますが、似鳥氏は最初に経験で判断することを強く戒めています。
 
ビジネスの現場では、手に余るほどの選択肢が目の前に現れ、ときに原則から外れた「尺度」で判断してしまうこともあります。例えば、組織の論理などです。しかし、ビジネスはいったい何によって成立しているのか。原点である「顧客」を思い出すことで間違いは減らせるのです。
 
Ⅱ 店舗の年齢
 
店舗の年齢を4倍すると、人間の年齢のようなイメージになる。店舗年齢が6歳なら24歳、10歳なら40歳、15歳なら60歳。だいたいこれで定年だ。店舗年齢が20歳ぐらいの店を運営するチェーン店もある。もう80歳だから本来は死を迎える。企業も人も常に若返る努力が欠かせない。(P166

インターネットの普及によって、人間の処理能力を大幅に超える情報が溢れる今、ビジネスの鮮度が落ちるスピードは加速する一方です。商品やサービスの種類によっては半年も持たないものすらあります。
 
ただ、問題が顕在化していない場合、手をいれることをためらいがちです。下手に改善を進めることによって、これまで回っていたビジネスに悪い影響が出たらどうしようと。ここに成功する企業とそうではない企業の決定的な差があります。一見問題のないように思えるが、今後を想定するとこれではいけない。未来をイメージして、常にブラッシュ・アップする準備とその実行を怠らない。時にドラスティックに事を進められるかどうかが事業の成否を分けるのだと思います。
 
Ⅲ 数字のマジック
 
例えばカーテン。最初は柄物に対して20%分を無地としたが、この比率では買い物客は気づかない。ところが30%まで増やすと、売れるようになることが分かった。20%程度では80%の柄物が売れるため、販売員は売らなくても済んでしまう。逆に35%を超えるような水準になると無地を売らないと部署の目標数字を上げられない。このため自然と無地商品が広がっていった。(P204
 
数字に強い。成功した経営者の最大の共通点です。一方で数字が苦手だという方も結構いらっしゃいます。こうした方が勘違いされているのが、数字に強い=専門的・学術的な簿記や会計の知識のことと思われている点です。
 
 必要とされる数字とは、現場の動きと連動するものです。このカテゴリーの商品の種類を5種類から10種類に増やしたらどうなるのか。店舗のレジ台数を減らしたらどうなるのか、などです。
 
いわゆる専門的な会計は、スタティック、つまり「静的」です。会計年度の範囲内で月次や四半期、半期といった期間における事業行動の結果を点で表しています。一方、現場で必要とされるのはダイナミック、つまり「動的」。生き物のように動く数字です。思考錯誤、トライアンドエラーによってのみ捕まえることができるものです。
 
 
Ⅳ 乗り物を変える
 
創業期は家具中心だったが、年々比率が低下し、今は40%程度。そこで、カーテンや寝装具などホームファッションという新市場に乗り換えた。今度はインターネット、リフォーム、法人事業、ロジスティックス、小商圏向けデコホームと新たなフォーマットを作っていった。(P300
 
強い企業が必ず持っているのが、明確な「コンセプト」です。扱う商品やサービスの内容が変わっても、コンセプトが変わることはありません。掴みどころのないようにも思えますが、要はその企業を一言で表す言葉です。ニトリでは創業時から「顧客に豊かな生活を提供する」というコンセプトで一貫しています。このコンセプトこそが、29期連続増収増益を果たした真の立役者ではないかと思います。
 
コンセプトをどのように設定するかで大きな差が生まれます。例えば、スーパー。私達の日常生活に欠かすことのできない存在ですが、スーパーという事業を「日用品を売るだけの存在」とするのか、「消費者の生活基盤全般を支える存在」でまったく違ってきます。
 
 明確な差が生まれるのが事業を拡大したとき。ニトリが「良い家具を提供する」と設定していたら、ホームファッションはコンセプトの枠外になり、事業拡大を進めていくうちに歪みが生まれ、今のような結果にたどり着いていなかったでしょう。』



ニトリホールディングス (9843) 東証1部428.


現在値 10,280  発行済株式数 114,443 千株  時価総額 11,765 億円









ニトリの経営を人生に例えるなら、

Ⅰ 今取り組んでいるのは、何のためにかという原点としてとらえる。
Ⅱ そして、自分を取り巻く膨大な情報から何を選択するのか。
Ⅲ 日々移り変わる状況や結果とどうかかわるか。
Ⅳ 最後に原点をぶれさせないで身の丈に合った人生を選ぶ。

と言うことになるのだろうか。


私の場合には、ブログのコンセプトである「余暇時間の楽しみ方を求めて」と言うことが、現在の人生の原点である。

そして、自分を取り巻く膨大な情報の中から興味ある情報すなわち好奇心をそそる楽しみ方を理解し、取り入れることである。

移り気な自分は、興味を維持することが苦手である。
日々の失敗は、次に活かすのでは無く、ただ忘れ去ることに勤める。

最後に、自分の身の丈に合った人生を選んで、無い物ねだりをしないことである。






3500円でカラダを売る女たち 性のデフレ化が止まらない

                 2016426 140分 現代ビジネス  


かつて性風俗は借金や精神疾患など、何か「特別」な事情を抱えた一部の女性が稼ぐ最終手段の場であった。しかし現在は経済的に困窮した「普通」の女性が、生活費を確保するためにカラダを売っている。性風俗業界の動向から日本の格差と貧困を読み解く『図解 日本の性風俗』を著した中村淳彦氏の特別リポート。


■カラダを売っても稼げない


「もう、風俗歴20年になるかな。10年くらい前までは稼げたけど、今は11本つけばいい方。持って帰れるお金は1万円にはならないわ」


鶯谷の熟女デリヘルで働く渡部美幸さん(仮名・50)はこう話した。埼玉県某市のベットタウンで夫と2人暮らし。ごく一般的な主婦だったという渡辺さんは、結婚11年目で夫が個人経営する喫茶店が廃業、住宅ローンが払えなくなった。諸々の事情から購入した一軒家を手放すことができず、首が回らなくなり悩んだ末に風俗で働くことにしたという。


風俗嬢として働き始めた最初の5年間は、月50万円以上は稼げたという。ところが1999年の風営法改正でその風向きが変わる。デリヘルが激増し、客が徐々に減ったのだ。風俗だけでは収入が足りず近所のスーパーマーケットでパートを始めた。今も週3日はデリヘル、他3日はスーパーで働いている。


この数年間、風俗業界は深刻な不況と、風俗嬢の収入の下落にあえいでいる。いまや風俗嬢の「超高収入でラクして稼いでいる、消費と遊び好きな女性」というイメージは、8090年代の全盛期を経て過去のものとなった。ブランド物で着飾った派手な風俗嬢はほんの一握り、大半はバーゲンやアウトレットで買った洋服を着て、格安居酒屋で割り勘で飲むという地味な生活を送っている。


その傾向は、風俗業界に大打撃を与えたリーマンショック以降から特に顕著で、現在の風俗嬢のほとんどは中小企業のサラリーマンと同レベルか、それ以下の賃金でカラダを売っている。カラダを売っても中小企業のサラリーマン以下の賃金とは夢も希望もない話だが、これが現実だ。


■風俗の下落はなぜ起こったのか


風俗嬢のセカンドキャリアを応援する非営利法人「GrowAsPeople」やセックスワーカー自助団体「SWASHSex Work and Sexual Health)」などのアンケート調査によれば、風俗嬢の現在の平均賃金は月33万円~38万円程度で、2000年ごろの月70万円程度といわれていた頃と比べると半減している。世間の世帯収入の下落を大きく上回り、風俗嬢たちの収入は激減しているのだ。


風俗嬢が稼げなくなった原因は、性風俗のデフレ化によるものだ。00年代から社会全体がデフレに悩まされているが、「女性のハダカ」の価格はその実質経済を上回る勢いで下がり続けている。デリヘルを中心に多くの風俗店が価格競争に巻き込まれ、サービスの単価を下げながら、集客も減らしている。社会と連動する形で、性風俗の世界でも格差が広がっているのだ。


性風俗のデフレ化の最大の要因は、従来であれば性風俗業とは無縁の一般の女性が続々とハダカになったこと、そしてデリヘルの激増によるものだ。


単身女性の3人に1人が相対的貧困に該当するという「女性の貧困」が深刻化したことで、一般女性の風俗志願者が増えた。さらに1999年の風営法でデリヘル(無店舗型)が実質合法化されたため、男性客が減り需要と供給のバランスが崩れたのだ。


それまでの店舗型性風俗は、違法か合法かわからないグレーゾーンの業種だったが、どんな業種でも合法化(規制緩和)されれば参入が増える。デリヘルも他に漏れず異業種参入が続き、現在警察への届出数は19000店舗超えた。


この数はセブン-イレブンの店舗数18572軒(平成282月現在)と同程度で明らかに供給過多といえる。限られた需要の中で店舗が増えれば、男性客が分散し稼動も下がる。その結果誰も稼げなくなってしまったのだ。


デフレが進んだ現在のデリヘルは、過半数以上が601万円以下という破格の価格帯で性的サービスを提供している。この価格帯は安すぎだ。そんな格安風俗店を支えるのは、若さでは勝負できない30歳以上の熟女たちである。


近年の人妻熟女の流行で風俗嬢の上限年齢はなくなったものの、労働者派遣法を代表とする格差に拍車をかける政策によって、現在、生活のために風俗を志願する一般の女性の増加が後を絶たない。風俗業界全体で需要と供給のバランスを完全に崩壊させたことで、単価は下落の一途を辿っている。


さらに、カラダを売っても貧困レベルの低賃金しか稼げないという女性も存在する。経済的な苦境に陥りハダカになった風俗嬢の中で、さらにその下層にいる稼げない女性たちの多くは40歳以上の熟女だ。


下層風俗嬢の多くは、未婚、バツイチ、シングルマザーなどの単身女性たちだ。彼女たちは自分の稼ぎで生活を支えなくてはならず、風俗店の増加による供給過多のため厳しい競争にさらされている。競争に負けた風俗嬢たちの収入は生活保護水準を下回り、「食べるのもやっと」といった危険な状態となっている。


■ハダカの女性は社会を映す鏡


カラダを売って貧困レベルの低賃金しか稼げないという現実を信じられない読者のために、デフレの象徴である、激安デリヘルで働く女性を想定して収入を試算してみよう。


続々と競合店が増え続ける中、性的魅力が普通レベルの女性が働ける店は限られている。都市部デリヘルの値下げ競争の象徴とされている某老舗チェーンでは303900円、455900円という価格帯でサービスを提供しており、そのうち女性の取り分は2400円、3500円と異常なほどの低賃金だ。単価が安すぎるこの店には各種性風俗を断られた女性が集まってくる。


デリヘルはとにかく男性客が少なく、低価格の格安店でも女性1人あたりの客数は平均で3人、人気のある上位の女性でも多くて6人程度だ。3500円(1人あたりの単価)×3人で、日給は1500円、週4日勤務でも168000円しか稼げない。東京都の最低賃金は900円なので、待機時間を含めれば、コンビニのアルバイト同等か、交通費なども入れればそれよりも低い賃金となる。


生活にお金のかかる東京で暮らすにはこの金額では最低限の生活もできないだろう。早朝に時給1000円程度の清掃のアルバイトをしてプラス月3万程度を確保し、なんとか凌いでいる女性もいるほどだ。


地方のピンクサロンも同様に厳しく、回転なしの305000円の店で時給は2000円、週4日勤務で日給12000円だ。雑費1000円と源泉徴収を引かれると、日給は9800円、月16日働いても156800円にしかならない。この収入は低賃金が社会問題となっている介護職と大して変わらない金額だ。


カラダを売ることは、性風俗が誕生した400年以上前から女性が稼ぐ最終手段であった。日本が貧しかった戦後や昭和期に風俗や売春を覚悟した女性たちの月収は大卒初任給の数倍と大きなリターンを受けていたが、90年代後半の新自由主義政策以降は一般女性の大量参入によって「簡単に価値が認められる」という大前提が崩れてしまった。


社会のマジョリティに属する一般女性が風俗や売春をする覚悟を決めても、貧困から逃れられない層を生む社会は異常としかいいようがない。多くの女性たちは月56万円のお金が足りないがゆえに「ハダカの世界」に足を踏み入れている。これ以上「普通の女性」が風俗嬢にならないためには、最低賃金の上昇が不可欠だ。


現在と物価が変わらないことを前提として、その層の女性たちの収入が月56万円アップすれば、おそらく風俗嬢志願者は激減する。時給に換算して最低賃金を約300円上げるだけで、カラダを売らなくても生活できる一般女性が大幅に増えるのだ。東京都では時給1200円、大阪は1150円、沖縄は1000円。しかしシングルマザーら常勤が難しい層を加味すれば、500円程度まで上げるのが妥当だろう。


格差が広がり女性の貧困が進むほど、風俗志願者が増え女性が生き延びるための最終手段が崩壊してゆく。格差社会の煽りを受けた女性たちが性風俗の世界に足を踏み入れても、立ちはだかる「貧困」からは逃れられないでいる。ハダカの女性は、今の日本の姿を映す鏡なのだ。


中村淳彦(なかむら・あつひこ)東京都生まれ。アダルト業界の実態を描いた『名前のない女たち』『職業としてのAV女優』『日本の風俗嬢』『女子大生風俗嬢』『ルポ中年童貞』など著書多数。フリーライターとして執筆を続けるかたわら介護事業に進出し、デイサービス事業所の代表を務めた経験をもとにした『崩壊する介護現場』が話題に。『熟年売春~アラフォー女子の貧困の現実』(ミリオン出版)。最新刊は427日『図解 日本の性風俗』(メディアックス)』




原発大反対で、あちこちで大騒ぎしている小泉元総理の時代に規制緩和政策で、派遣法を改正し、働ける場所を製造業にまで枠を広げた。
自動車産業などは製造部門に派遣社員を大量に採用し、首切りを簡単にできる仕組みを取り入れた。
そのことで、リーマンショックが起こった時に、大量の派遣切りを行い大企業は生き延びた。しかし、巷には正社員になれない労働者を増やした。

自民党の末期的な時代で、自民党をことごとくぶっ壊してしまった小泉さんの新自由主義的考えによる政策は、こんなところにまでも爪痕を残したのかと怒りを通り越して、悲しみさえ感じてしまうほどである。

今騒がれている三菱自動車に見られるように、大企業と言うのは儲けるためには、何でもやるのかと言う体質があるようだ。

時の政権は、大企業が喜ぶような政策ばかりでなく、底辺で苦しんでいる者に光を与えるような政策を打ち出していかないと、やがて愛想を尽かされることになる。





安心感のあるタレント 所ジョージ 関根勉

2016424()160分配信 日刊大衆
 
『 昨年1月から離婚調停中だった、ロックバンド「THE虎舞竜」の高橋ジョージ(57)と女優の三船美佳(33)が先日和解し、離婚が成立した。芸能界きっての“おしどり夫婦”として知られた二人の泥沼離婚騒動は世間を驚かせたが、その一方で円満な夫婦生活を長年送る芸能人も少なくない。
 

 タレントの好感度ランキングで常に上位入りする所ジョージ(61)もその一人だ。行きつけのスナックのママだった妻と結婚したのは1981年。そのゾッコンぶりは有名で妻の実家に跡継ぎがいなかったことから、養子になることが結婚の条件だったが、ためらうことなくOKしたという。夫婦生活は35年目を迎えるが、お互いの絆は深まるばかり。その理由の一つが、愛妻自慢の手料理だ。奥さんは料理本を出版するほどの料理の腕前で、所は「妻の手料理が世界一私の舌に合っている」と大絶賛。そのため、よっぽどのことがない限り、外食することはなく、仕事が終わると自宅へまっすぐ帰って妻と食事を共にするそうだ。あるインタビューで妻と子どものどちらが大切かと聞かれ、「妻」と答えたというから、その愛妻家ぶりはただものではない
 

 愛妻家といえば、関根勤(62)も忘れてはならない。関根は日本大学3年生のときに妻と知り合い、交際をスタートさせた。意外にもそれまでは女性から全くモテず、妻が初めてできた彼女だったという。そのため、関根は妻が自分と付き合ってくれたことに今でも感謝し続けているそうだ。結婚する前に妻の家へ行ったとき、彼女が両親からとても大切にされているのを感じ、「一生守っていこう」と強く思ったという。その一途さはずっと変わらず、朝起きると「おはよう」と言いながら妻を抱擁するのが日課になっている。また妻が食事を作るたびに「ありがとう」と声をかけるというが、なかなかできるものではない。そうした何気ない感謝の言葉からも愛妻家ぶりがうかがい知れる。』


タケシやさんまの人気には、驚かされるが時々大丈夫だろうか?と心配してしまう。
加藤茶さんのような人生も哀れ感が漂う。
お金で老後の寂しさを解消したような哀れさである。

所さんや関根さんから感じる安心感は、夫婦円満なところから来る感じがする。
人を笑わせて幸せにし、そして自分たちも楽しんだ人生を歩んでいる。

一人で子どもを育てている人を見ると、頑張っている感じを受ける。
しかし、そんなに頑張らなくとも人生をゆったりと過ごしていけるような生活がいい。

時々思いの違いで、喧嘩をすることがある。
それは互いの考え方の違いから起こることが多い。
もともと違った考え方の二人が一緒になったのだから、生きている間はぶつかることはあるだろう。

喧嘩することが分かれる原因ではないと思う。
離婚してしまう人は、生理的に相手を必要としなくなってしまった時であると思う。
相手に対する感謝の気持ちや守っていきたいと言う愛する心が無くなってしまった時だと思う。
どちらかが感謝の気持ちを持ち、相手を必要とする気持ちが強ければ、考え方の違いはいずれ埋まるものだと思う。











旬を頂く タケノコとフキ

家庭菜園の近くに小さな土地があり、そこには柿の木やキンカンの木を植えてある。
柿の木は4本。キンカンが1本。
そして柚子の木とグレープフルーツの木が1本ずつである。
ミニ果樹園と呼んでいる。

柿の木の周りのフキがちょうど食べごろである。




フキ料理は、旬の物であり大好きである。
少しの苦みが癖になる味である。








ミニ果樹園の左隣と奥の竹藪は、市の土地である。
土地を買った時には、どちらも更地であった。
それが私有地の竹山からどんどん竹が伸びてきて、私の土地の東側の光をさえぎった。
そこで、毎年竹を切って、東側を元通りにした。
市の土地なので、何人かはタケノコを採りに来ている。
もちろん私もタケノコを頂いている。



私の土地にまで、竹は伸びてきていた。
最初は、竹山にしようか果樹園にしようか迷ったほどだ。
結果として、竹を伐採してミニ果樹園にした。
後輩が柿が好きだと言うので、自由に食べていただいている。
4本で毎年食べきれないほどの柿がなる。


 

左奥の竹山のタケノコである。
竹の切り株は、私が切ったものである。


私の土地と市の土地の間には、「赤道」と言われる昔の道路がある。
しかし、それは登記簿を見ないとわからない。

市の土地は、荒れ放題で誰も管理していない。
だから、私が適度に管理して、そのお駄賃にタケノコを頂いている。





・・・・




ハウスブドウ 4月23日

ハウスブドウ 4月23日の様子

ピオーネ 実が成り出して3年目となった。




この時期の作業は、芽欠き作業である。
今年伸びた枝である何本かの「新梢」(しんしょう)の中で、小さすぎる新梢や逆に勢いがありすぎるものを切り取って、1本だけ残す。



もちろん大きなつぼみがついている枝を残すようにする。
まだ、全部の新梢の大きさが揃っていないので、時期をずらして「芽欠き作業」を進めていくようにする。




現在の段階でつぼみが確認できたのは、ピオーネで全部で50個以上であった。
昨年度よりも10個以上多く確認できた。
一番の願いは「花ぶるい」が起こらないことである。




こちらの画像は、ハウス奥の「巨峰」の木である。
ピオーネとは同じ時に植えたが、やや育ちが悪い。




奥から左側に伸びた枝。
昨年度にかなりの長さに成長した。
まだ、つぼみの数は数えていない。



このハウスには、トマトも栽培する予定なので、日照も考えてできるだけハウスの端にブドウのつるを這わせている。

ブドウの房数は、ピオーネと巨峰を合わせて100房から200房ぐらいを目標に栽培している。



1昨年前のピオーネの房である。
初めて実った自家産のブドウであった。
とても甘くて、お店に売っているものと同じ味であった。
これと同じものが100房もなったら、どんなにか楽しいだろう。

でも、あまり期待すると、昨年のように花ぶるいで一房に10粒ぐらいのブドウになってしまって、がっかりすることになってしまう。

日本サクラソウの花の変異を楽しむ

日本サクラソウの花の変異を楽しむ

日本サクラソウの楽しみ方は、普通種が突然変異を起こした変わり花を楽しむ。
趣味家によって長い年月をかけて改良が重ねられ、普通種から大きく変化した花の美しさを鑑賞するものである。
各地で日本サクラソウの展示会が行われている。
 
本日は、我が家の花壇で咲いた花の一人展示会である。
ジョイフルホンダで、一芽ずつ手に入れて丹精込めて株を増やしたものである。
 
      普通種                表は白、裏は紫花弁はぎざぎざ

 

     白色                     薄い転覆柄の大輪
 
  
 
 青みがかった花色 特につぼみ       絞り立田の変異種

 


  銘品 絞り立田  しぼり柄       銘品 七賢人 白と紫の咲き分け

 

 銘品 南京小桜 小花に白覆輪     南京小町と逆の白の大覆輪柄            

 


八重咲きの銘品



この花は、銘品「てんぷくりん」からの変異種である。
周りの花と色味も花弁の模様も違う。
つぼみが特に青みが強い。
また、花弁が開いたときの内側の色が濃い絞り柄となっている。
今年だけの変異なのか、興味がわく花である。




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