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Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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親のわが子に対する教育観

                                        2016年2月28日 15時3分 トピックニュース  
 
『28日放送の「アッコにおまかせ!」(TBS系)で、和田アキ子が、バイオリニスト・高嶋ちさ子氏のゲーム機破壊に持論を唱える場面があった。

番組では、高嶋氏にまつわる騒動を取り上げた。家庭内のルールを守らなかったとして、高嶋氏は息子たちのゲーム機をバキバキに破壊しただけでなく、自身が「東京新聞」に連載しているコラム上にその写真を掲載したという。高嶋氏は後日、「週刊文春」のインタビューに応え、任天堂が3000〜4000円ほどでゲーム機を修理してくれる旨、事前に調べていたのだと釈明したそうだ。

本件について意見を求められると、和田はまず、家庭内ルールを破った代償としてゲーム機を壊すこと自体は否定しなかった。しかし、その写真を新聞紙上で公開したことが何よりも引っかかるとコメントし、「教えなくてもいい情報でしょ?言っちゃえば」と指摘したのだ。



高嶋氏がゲーム機の修理額をあらかじめ調べていたことについても、和田は「(そもそも)ゲーム機買えない人もいるやろうし」と一蹴する。

その一方で、和田は、しつけは絶対に大事だと力説していた。』




100人の親には、100通りの教育観があるだろう。
教育は結果が大事。
どんな素晴らしい考えの教育方法であっても、結果が悪ければ、意味がない。
しかし、結果とは見えないもの。

しかし、プロの教育方法には、制約があってしかるべき。
高島ちさ子氏の行った行為は、学校のプロの先生にはできないこと。

近年の学校教育のむずかしさは、親の教育観が幅を利かせていること。
そして、自分の子どもを他人の先生が教えていることに、その思いの違いが時々ぶつかり合うものだと思う。







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多摩川沿いに住むカリスマホームレスが語る







質問5 『.田舎の休耕田を利用して自給自足すればいいのでは!?(09-12-17)』



今回も多摩川在住15年の長明が担当します。

 何も東京のど真ん中の河川敷で自給自足をしなくたって、 休耕田をただで貸してくれるところなんて
今ではどこにでもあるわけだから、
そこに行ってやればいいとのご意見ですね。

ごもっともだと思います。
私もそれでできないかと考えたことはありました。
  
 私は東京という土地でそれをできているわけですから、 田舎へ行ってやるのはとても簡単に見えるかもしれません。
まして、私は東京では路上生活者。
 田舎に行けば、ただで田畑や家を貸してくれるところもある。
そちらへ行けば、私も都合が良さそうです。
ですが、そこがなかなか難しい。
 私には大都市の中でこの生活をしている意味があるのです。
 



人が田舎で自給的な暮らしをする際に、問題点が3つあります。

1.現金収入をどうするか。
2.運転免許証をどうするか。
3.田舎が求めている人材とはどんなものか。
 
この3点についてお話したいと思います。
 
まず、何が一番の問題かと言うと、
やはり現金収入です。

 

私は、現在、路上に落ちている非鉄金属、
つまりアルミニウムや銅などを採集し、いくばくかの現金を得ています。
それらが何もない田舎ではできない。
 私が現在、現金を得ている仕事は やはり都市という場所での、独特な生業なのです。
 

せっかく田んぼがあるんだから、それだけで生計を立てればいいじゃないかとおっしゃるかもしれません。




 私の家族は、田んぼや畑で自給自足のような生活をしていたからわかるのですが、 一人の人間が、田畑だけで日々の食事をまかない現金収入を得ようと思ったら、 現在では最低でも三反分、つまり900坪の土地が必要です。

さすがに、そこまでただで貸してくれるところは、なかなかないでしょう。
しかも、私は今68歳。
 年齢的に見ても、田畑だけで現金収入を得る肉体労働には耐えられません。
 
ですから、農業のほかに手っ取り早く現金を得る方法を考えなくてはいけません。
しかし、農作物の生産・販売や、田舎にある「まっとうな」仕事で現金収入を得るために絶対必要なものを私は持っていないのです。


 「運転免許証」です。
 
都市では車なんていらないですけど、 地方ではそうはいかないのです。
車がないと、作った作物を売りに行くこともできません。
こまごまとした仕事をこなしに行くこともできません。
免許証がない、これが二つめの大きな問題です。




じゃあ、田舎に住んでいる人は
みんながみんな車を持っているのか、とおっしゃるかもしれません。
近隣の人に同乗させていただくという手だって
もちろんあります。
人の好意に甘えさせていただく、ということですね。
 

ここで考えなくてはならないのは、
どうして地方の自治体が、休耕田を無償で貸してくれたり
住宅手当を用意してくれたりして、都会から人を迎え入れようとしているのか
 ということです。
 
地方の人が休耕田を無償で貸すというのは、 何もすべての人に土地を分け与えたいと考えているのではなく、やはり後継者が欲しいというのが、 一番の理由だと思います。
だから、若い人にはしっかりと協力するでしょう。
車なんかなくたって、いくらでも手伝ってくれると思います。
 
しかし、68歳の老人にはどうでしょう。
協力をしたとしても後がない。子どももいない。
なかなかそういう人は、求められていないと思います。
何年かたって、私が働けなくなって介護が必要になったら地域の負担が増えるだけです。
だから、当然のことながら冷遇されてしまうでしょう。


 
田舎に行って、周りの人々にやっかいになって冷遇されるよりは、私は都市で路上生活者として冷遇されていても、誰の世話にもならない、自立した生活を選びたいのです。


私が使う飲料水や生活用水は、すべて雨水を利用していますし、電気は自前の発電機でまかない、トイレは自家製で、それを肥料に自給自足をしています。



完全に個として独立した生活を送っているのです。
自分のやるべきことをすべて自分の責任で行う。
そこにこそ、生きる意味があると思っています。
 
都市にいれば、路上生活をしている私であっても現金収入を手に入れることができます。
さらに、私は別に便利さを追求している生活をしているわけではないですが、やはりそれでも便利さに慣れてしまってはいるのです。

年も年ですから、それをまた戻して、不便な生活をしていくというのもなかなか骨が折れます。
私も、昔はいろいろと考えていました。
30、40代のころは、漁業をやりたいと考えていました。
漁業は、私自身船乗りだった経験もあり、下地があるので、 農業より楽に実現することができると思ったのです。
漁業であれば、自分が生まれ育った東北の田舎でやりたいと思っていました。
と言いつつも、 今では多摩川河川敷で自給自足生活をしているのですが。
 


以上のようなことから考えると、これから農業をするには、都市近郊であることが求められると思います。
人が集まるところに近ければ、流通コストもかからず数がさばけます。


私が拾ってきた銀杏だって、多摩川でなら簡単に売ることができるのです。
残念なことですが、 田舎の農業は、これからますます衰退していくのではないでしょうか。
私はそんなことを考えています。



さて、それでは私のような生活は果たして許されるのだろうか。
もちろん、簡単に許される行為ではないとわかっています。
私がやっているのは、河川敷の不法占拠であることに違いはありません。
厳密に言うと、河川法に違反しているのです。
河川法では、河川敷に工作物を建てることを禁じています。
それを私は犯しています。
そこで、私は多摩川の管轄をしている国交省に電話で問い合わせてみました。
自分の今の状況は、一体どんな問題があるのかを。
 

すると、 「あなたは河川法を違反しています」
と言われました。
そこで私は、河川法を違反したら、どういう罰則を受けるのかとさらに聞いてみました。
そうすると、「河川法を違反しても、今のところ特に罰則はない」とのことでした。
私は非常に不思議な気持ちになりました。



法律は違反しているのであるが、罰則はない。

そこで、さらに私は聞いてみました。
 「罰則はないかもしれないが、強制撤去のようなことはするのか」と。
 
答えは意外なものでした。
 「現状では、ホームレス支援法で強制的に撤去することが禁じられているため、
撤去することはできない」
またまた私は不思議な気持ちになりました。
担当者によると、 河川法よりもホームレス支援法の方が法的な力があると言うのです。
それは本当なのでしょうか。私は自分が河川敷で暮らす身でありながら、そのことに矛盾を感じてしまいました。
 
話をまとめると、私が多摩川で生活しているのは、 現状ではやむを得ず、許可をされているわけではないが、 取りあえず処置しないままでいる状態なのだそうです。
それ以外にも、いろいろと話を聞かせてもらいました。
そこには行政の予算の問題も含まれていました。
多摩川で暮らしている路上生活者一人を退去させると、すべての人を退去させないといけない。
 
多摩川沿いには上流から下流まで、かなりの数の路上生活者がいます。
その人たちすべてを処理しないといけない。
一つの家を撤去するだけでも、人員、トラック、ゴミ処理代などを考えると、かなりの金額になってしまいます。
それが300、400人規模になってしまうと、それだけで億単位のコストがかかってしまうそうです。
さすがに、それはできない。
そんなこともあって、 多摩川での私たちの路上生活は、 微妙な法律、経済的な問題の間で揺れながら、 続けられているのです。
 
もちろん、公共の場所に勝手に住みやがって、というご意見はわかります。
しかし、人間というものは最低限の生活をする権利があると思うのです。
それなのに、お金と身分証明がないと住むところを借りることができないというのは、それこそ憲法違反ではないかとも思うのです。

人々は、土地をまるで商品のように扱い、切り売りし、利益を得ています。
それは本質的な人間の営みなのでしょうか。
私はそこに疑問を持っています。

それよりも、人間が今気付かなくてはならないことは、 土地を買ったり、売ったりするのではなく、この大地と、もっと仲良く接することではないでしょうか。
それは都市に生きるほとんどの人間が、できていないことです。
しかし、私は都市の中でこそ、この大地と人間のつながりが、今一番必要とされていることだと思うのです。
 
今回の質問は、本当に的を射た意見だったと思います。

しかし、私があえて都市の中で路上生活をしているというのは、
以上のような理由があるのです。






フランスのパリの町は、世界中から人が集まっている。
なぜなら、人が集まるところには、色々な仕事がある。
そして、寒さや飢えをしのぐことができる。

人が都会に集まるのは、生きていくための衣食住が容易に手に入るからであろう。


北海道のホームレスは、寒い冬には命がけであろう。
しかしながら東京に住むホームレスは、豊かな生活をしているかもしれない。
アルミ缶収集などで、年収を300万円ほど稼ぐ強者も存在すると言う。










ベッキー不倫LINE流出の真実

                           2016年2月27日(土)21時14分配信 マイナビニュース
 
 

『LINE株式会社の最年少執行役員・稲垣あゆみ氏が、27日に放送されたTBS系バラエティ『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(19:56~20:54)に出演し、LINEが流出することは「仕組み上ない」と断言した。

バナナマンの設楽統に、ベッキーとゲスの極み乙女。の川谷絵音の不倫疑惑騒動について尋ねられた稲垣氏は、「ほかの人のトークの中身が見られるというのは、われわれの仕組み上はない」と返答。「これはどういう風に起きたんだっていうことで、かなり中でも議論があった」と明かした。

設楽が「LINEの人はみんなのやつ自由に見てるということはないんですか?」と聞くと、「それは絶対にない」と否定。「警察の方から捜査令状という形で依頼があった場合の対応っていうのはありますが、基本、通信の機器で一切見られません」と話した。

そして、基本的に「メールアドレスとパスワードを他人に知られることがないように管理すること」と「端末自体にロックをかけたり他人にさわらせたりしないこと」の2つを守れば、流出することはないと説明した。


設楽がさらに「詳しい人が身内にいたら、そういうことができる可能性がある?」と聞くと、「メールアドレスやパスワード、基本的な情報をすべて奥さま…だれかご存じであれば、やろうと思えば」と返答。すると土田晃之が「奥さまってだれの話ですか?」と問いかけ、設楽が「つっちー勘ぐりすぎだよ」とツッコんだ。


最後に稲垣氏は「LINEが流出することはありませんので安心してご利用ください」とあらためて呼びかけた。』



LINEやFacebookなど詳しくない人は、あのニュースの時にパソコンに詳しい第三者が「ゲスの極み乙女」のスマホのメールアドレスやパスワードを盗んだと思ったに違いない。

ハッカーなどがたくさんいるので、そんなことも可能だと思った。

興味はそれだけでなく、その情報をいったいいくらで週刊文春に売ったのだろうか?と言うようなことまで勘ぐったものだ。

すぐに、情報を盗んだのは、ごく身近な者の仕業であるだろうとの情報が流れた。

その段階で、身近なものが彼のメールアドレスやパスワードを知ることは、そんなに難しいことではない。
携帯電話の着信メールをのぞき見する感覚で、それは可能だと思った。

今回の情報主は、LINE株式会社の最年少執行役員・稲垣あゆみ氏である。
これは、信ぴょう性がある。
しかし、わかっていても流出させた犯人を特定して話すことはできないだろう。



便利な世の中になったが、その便利さは、もろ刃の刃であると感じる。

ドローンでの宅配や自動運転の車。
無人爆撃機の研究開発で得た技術を、経済活動で利用する例だ。


話はまったく変わるが、また麻生大臣が面白いことを言った。

「農家は税金を一回も払ったこともない人もいるだろう」
情報元が、「地元で3人ぐらいから聞いた」と言うことだ。

自営の専業農家で、売り上げから経費を引いたらマイナス所得になる人は、たくさんいるだろう。
そんなことは一般人でも容易に想像がつく。
だからと言って、大臣が軽々に言うことではないと思うのだが。







2月下旬の玉ねぎとにんにく

今日は、春らしいポカポカとした天気であった。

玉ねぎの雑草を取り、育ち具合を画像に納めてきた。
親指大の太さになっている。
今年は、順調な生育である。



昨年度は、小指の太さよりも細かった。
そこで、追肥をやって大きくしようとした。
3月、4月まで追肥をやってしまった。
それが原因かどうかわからないが、収穫前にうどんこ病のような症状が出てしまった。
まだ、玉ねぎの肥大が始まったばかりであった。
仕方ないので、葉が枯れる前に茎を折り曲げて、肥大を促進させた。
なんとか小さいながらも食べる分は収穫できた。

しかしながら、日持ちが悪く、9月ぐらいまでしか保存できなかった。

プロの農家に、玉ねぎの作り方の基本を教えてもらった。
追肥は2月いっぱいで終わりにして、あとは収穫まで肥料を切ることが大事であると言われた。
それまでは、出来るだけ茎を太く育てるように肥培するとよい、と教えてもらった。

元肥に鶏糞をたくさん施したので、追肥はやっていない。
十分な太さになっているので、このまま収穫まで肥料は与えないつもりである。


ニンニクも良く育っている。
しばらくぶりで作付けしたにんにくである。
画像は、茨城県産の黒にんにく用の種を購入して植えつけたものである。
小ぶりであったが安かったので6玉ぐらい購入した。
大きくできたものを種用にしようと考えている。
画像のものは、一番大きく育っているにんにくである。




ニンニクの種は一つ300円ぐらいと高いので、今年は、種用のにんにくを残そうと考えている。
大きくて立派なものを種用に残したい。

家庭菜園のポリシーは、自給自足なので、出来るだけ種にお金をかけないようにしている。
自家採種できる野菜は、出来るだけ種を採っている。
ネギ、インゲン、ゴーヤ、ナス、シシトウ、サトイモ等は、自家採種している。

100円ショップに売っている種は、優先的に購入している。
中玉トマト、キュウリ、枝豆、ホウレンソウ、そら豆、えんどう豆、レタス等

ジャガイモ、大玉トマト、かぼちゃ、スイカは、スーパーやジョイフルホンダで購入している。










老後の海外移住 夢の楽園となるか

ブログで老後の海外移住の夢の楽園に出会った。
そこは常夏の国、フィリピンである。
小さな島にあるグループホームは300mの浜辺に面し、 海の見える窓で海気一杯の自然に囲まれた2ヘクタールの用地が参加者の終の棲家となる。

老後の年金生活で、夢の生活を送ろうと言う取り組みである。




『仲間との信頼の絆が築く夢の里グループホーム miyuki house
私たちは生涯 和気藹々暮らしの家族を求めています。
グループ暮らし募集人員12名残り 7名 それぞれのアイデアで築くユートピア』




ブログ  『Mama Miyukiの気侭な移住暮らし』
 
 



 



グループ参加の
費用の内訳

『 【グループ暮らし参加協力費】
 
☆参加協力費 お一人  300万円 契約者一代限りの権利
          お二人 400万円 夫婦・兄弟・親子
          参加協力費の返還には応じません。

☆プライベート保持、一戸建て家屋 「終の棲家」 建設費
          標準  1~2室タイプ  200~300万円程度
          リビング6m×6m 寝室5m×6m シャワー・トイレ
   
☆ベランダ   20万より サイズにより見積致します。
☆家具・シャワー温水器・電灯等は別途必要です。

☆グループ暮らし、賄い付き生活費
          お一人 70,000円   ご夫婦・親子(2名) 100,000円
          三食の食事代 水道・ミネラル含む 標準電気代 掃除・洗濯など 施設共益費含む。
 
☆要介護お一人 100,000~150,000円 介護ランクにより異なります。

☆別途 電気使用料について、
   エアコン・バス温水器・大型冷蔵庫・洗濯機・電子レンジなどの家電使用の場合は、 個別電気メーターで使用量を算出、基本電気代を差しい引いて請求します。』




費用をまとめると、初期費用が一人600万円ぐらい
☆参加費用が一人300万円 二人だと400万円
☆一戸建てハウス費用 200万円~300万円
☆ベランダ等設置費用 20万円以上

☆1か月の費用 7万円~15万円
    生活費 7万円+α
    介護費用 10万円~15万円


初期費用の600万円は何とかなるとして、老後の介護費用が15万円となると、普通のサラリーマンの年金では、生活費込ならばぎりぎりセーフというところか。

小遣いを月に3万円ほど使えば、健康なら10万円であるが、健康を害して介護が必要となれば、15万円から20万円ほどかかるだろう。さらに医療費はどのくらいかかるのかわからない。
日本なら、病気によっては、国の補助金で生き延びることができるだろうが、フィリピンでは、どうなるだろうか。

常夏の楽園か天国のような景色の中で、生活したらどんなだろうか?
毎日毎日、朝から晩まで海で泳いで、一日を過ごす。
でも、一人では飽きてしまうかもしれない。

妻と二人ではどうだろうか?
きっと、「あなた一人で遊んでいらっしゃい!」と断られるかもしれない。

家庭菜園でもやりたくなったら、農地は借りられるのだろうか?

現地の漁師に頼んで、漁を教えてもらえば、「さかなとったぞ~!」というような遊びができるかもしれない。

グループ生活だから、嫌な奴がいたらどうしよう。
嫌いになってしまったら顔を見るのも嫌だろう。

日本に帰りたくなったらどうしよう。
担保に、持ち家を売らないで、残しておこうか。
あるいは、誰かに賃貸して、不労所得を得ようか。

問題は、病気になってしまった時だ。
癌になったらどうしよう。
癌保険は、フィリピンでは入れるのだろうか?
病院に入院するのはどうするのだろうか?
入院保険は、フィリピンでは入れるのだろうか?

それよりも、毎日毎日、同じような景色を見ていて飽きが来ないのだろうか?

フィリピンは、火山地帯だ。
地震もあるだろう。
毎年、大きな台風が上陸している。
ちっちゃなハウスは台風で壊れたりしないのだろうか?

治安はどうだろうか?
モノやお金を盗まれたりしないだろうか?

車の運転はどうだろうか?
国際免許はとれるのだろうか?



それよりも、妻に「終の棲家をフィリピンにしよう!」と言ったら賛成してくれるだろうか?
「そんなに行きたいのなら、あなた一人で行ったら!」なんて言われたらどうしよう。

新しい友達が作れるだろうか?


絵手紙の先生からのお便り

先日の土曜日、妻の経営する塾の教室で、絵手紙教室が行われた。
月に2回の絵手紙教室であるが、1回は生徒さんの都合で先生が出張して教えてくれている。
先生を含めて4人で行っている。

その日は、ちょうど家庭菜園のホウレンソウを収穫した。
食べごろのおいしそうなホウレンソウだったので、みなさんにプレゼントした。

すると、次の日に先生からお礼の絵手紙が届いた。



先生の作品には、迫力がある。
根っこの部分が寒さで、糖分をたくわえて甘くなっている。
この時期の野菜のおいしさを、大胆な構図で表現している。


表には、私あてにも言葉が添えられてあった。

野菜を収穫したその日は、昼ごろに雨が降ってきて、寒い一日であった。

野菜つくりをしていて、一番の楽しさは、プレゼントした人が喜んで食べてくれた時である。



先日は、「ザ!鉄腕!DASH」の番組で、プロの農家の作った6㎏もある白菜を収穫し、料理してみんなで食べているシーンがあった。

プロの農家の作った野菜は、さすがにすごかったが、気の遠くなるような広い畑を見て、農業で生計をたてることのむずかしさを実感した。

トキオの城島さんが野菜に詳しいことを、始めたばかりの若いプロ農家の兄弟は感動しきりだった。

野菜を作った者にとって、その野菜を食べてくれて、ほめてくれたり、感動してくれたりする人がいることが、何よりもの嬉しさである。

   我が家の畑のホウレンソウ











組み体操廃止の記事に思う

                                                読売新聞 2月22日(月)14時52分配信

『 千葉県流山市立の小学校16校、中学校9校の全校で、運動会や体育祭で行う組み体操を新年度から廃止することが22日、同市教育委員会への取材でわかった。
 
 組み体操を巡っては、大阪市教委が新年度からピラミッドとタワーを全面禁止する方針を決めているが、スポーツ庁学校体育室では「禁止や廃止は大阪市以外に聞いていない」としており、流山市が全国で2例目とみられ、同県柏市も廃止を検討している。

  流山市では、各地で組み体操による事故が相次いでいることを受け、小学校と中学校の校長会がそれぞれ検討し、「安全を第一に考えて組み体操全般を廃止する」と、市教委に報告した。』



組み立て体操 難しい技のイメージ画像

   8段ピラミッド                     4段の塔

  



組み体操の魅力は、見る者に感動を与える迫力である。

一方、最大の欠点は、取り返しのつかない事故が起こることである。

わが子が土台となり、歯を食いしばって重さに耐えている姿を目の当たりに見た親は、演技が成功した時に、そのたくましさに感動を覚える。
一番上に立った瞬間のわが子の姿を見た親も、感動のあまり涙する者もいる。

しかし、それはすべてが上手く行って、感動的に演技が終了した場合である。

現実は、違う。
別名「骨折体操」と言われたりする。
全国のあちこちで、組み体操による事故でけがを負った子供の親が学校を相手に損害賠償の訴訟が起こっている。
当然のことである。

簡単な組み立て体操のイメージ画像


3人一組の塔である。
イメージ画像のように女子でもできる。
一見、安全な技のように思える。

しかし、土台の二人が横に揺れたときに、上の子は、バランスを失って、お尻から地面にたたきつけられ大けがの原因となる。


今から30年以上前から、全国のあちこちで組み体操の危険性が問題視されてきた。
しかしながら学校現場から「組み体操」が無くなることは無かった。

もちろん、組み体操を取り入れることも、やってはいけないことも、指導要領には示されていない。

私が現役だったころ、一度だけ町の教育委員会からの文書が学校に届いた。

「体育祭において、普段の体育の授業等で行っていない「高度な技を要する種目」を、出来るだけ取り入れないこと」と言うような内容の文書であった。

高度な技を要する種目とは、「組み体操」「騎馬戦」「棒倒し」と言うような種目を指していることは、容易に理解できた。

30年ぐらい前の話であり、教育委員会からの通達の本音は、「訴訟対策」であったと思う。
隣の市で、組み体操で落下した生徒が半身不随になる大事故が起こっていた。
その事故で怪我をした子どもの両親が、市と校長に対して多額な損害賠償の訴訟を起こしていた。

学校教育の中で、「感動」と「悲劇」は、背中合わせの部分がある。
体育祭だけではなく、部活動の中での事故もある。

現在、組み体操廃止の動きは、全国的な動きとなっている。
議員団が、文科省に組み体操廃止の通達を出すように迫っている記事もあった。

文科省や市町村の教育委員会が、上意下達で一方的に「組み体操廃止」を進めるのには、色々と困難があるだろう。

しかしながら、学校現場には、残念ながら自浄能力は無いに等しい。
一度、始めてしまった行事は、始めたエネルギーの何倍ものエネルギーが無いと、やめることができない。

たとえば、京都方面への修学旅行を、東北方面での農業体験学習に変えたとする。新しい校長の趣味で、変えたとしか思えない。
その校長が学校を移動したとたんに、元の京都方面への修学旅行へ戻ることは容易に想像がつく。
ましてや、修学旅行そのものを廃止しようなどとは、いかなる理由であっても、難しいことだろう。


組み体操は、やがてどこの学校でも縮小の方向で進んでいくと思う。

体育祭をどのように位置づけ、何をねらいとするのかを、もう一度考え直していくことが大事だと思う。
組み体操問題は、「見せる体育祭」を前面に出したものであると思う。

「みんなで楽しむ体育祭」と言うのもあってもいいと思う。

現実には体育祭の練習は1週間か2週間の体育の時間である。
特別に時間をとったとしても、十分な練習時間を確保することは難しいのが現状である。













絵手紙の作品がたまってきた

妻の絵手紙の作品の紹介

最近の妻の絵手紙作品で感じることは、墨の色が薄くなっているようだ。
慣れてきたのか、手を抜いているのか、よくわからないが。







自家菜園のミカンである。
全体の構図が上手になっている感じがする。
この作品は、品があっていいと思う。




今年のサトイモは、水不足であまり大きくならなかった。
家で食べる分には十分すぎる量ではあったが。




頂き物の西洋ナシである。
説明が必要な作品かも知れない。




柿とりんごの二つを描きたかったようだ。
二つのモデルを、大きく瑞々しく描くのは、難しいと思うのだが。





りんごは、サン富士が最高である。
蜜がたっぷりのサン富士のしゃきしゃき感はたまらない。





さるぼぼ」と言う飛騨地方の人形である。
猿の赤ん坊をイメージした魔除けの人形だ。





ポインセチアであるが、造花である。
造花を描くなんて、めずらしい。
どうしてもポインセチアを描きたかったのかもしれない。




サンタの人形である。
最近は余裕ができたのか、腕をあげたのか、
遊び心の作品が多くなっている感じがする。






妻のつたない作品の鑑賞会に付き合っていただきまして、ありがとうございました。   m(_ _"m)ペコリ  (^人^)感謝♪


知られざる秘島に住める!琵琶湖の沖島

                                                                  2月18日(木)16時6分配信
琵琶湖に浮かぶ国内でただ1つの有人島・沖島
 


『 滋賀県にある日本最大の湖、琵琶湖の沖合に浮かぶ沖島。あまり知られていないが、国内で唯一、湖で人が暮らす、周囲約6.8キロ、面積約1.5平方キロメートルの小さな島だ。自動車が1台も走っていないこののどかな島で、滋賀県近江八幡市役所が空き家への入居者を募集している。いったいどのような島なのか。
 



  沖島から約1.5キロ離れた対岸にある、近江八幡市の堀切港から定期船「おきしま」に乗ると、10分ほどで沖島漁港に着く。船を降りて目の前に広がるのは、“昭和”の町並みだ。港から続く道沿いに、家々がひしめき合うように建ち並ぶ。自動車が走らないため道は細く、信号機は1つもない。島民は徒歩か自転車で移動するのだ。



 
  沖島の人口は約300人。島民の約6割が漁業などの第一次産業で働いている。琵琶湖で獲れる魚の半分は、沖島の漁師によるものだ。島民は一家に一隻、船を所有し、漁業や移動に利用する。堀切港に車を止め、そこから通勤や通院、買い物などに出かける人も多いという。
 



  自動車が走らないためか、島を歩いていると、波の音や鳥の鳴き声が大きく聞こえる。ゆっくりと自転車をこいでいく、おじいちゃん、おばあちゃんたち。「沖島時間」ともいわれる、ゆったりとした時の流れが心地よい。だが今、この島は人口減少や高齢化という大きな問題を抱えている。
  



  島内にある市立沖島小学校の児童数は12人で、うち島の子どもは3人。他の9人は、島外から定期船で通学する。1年生3人は、全員島外の子ども。併設の幼稚園は休園中で、4月に新入生が入ってくるかどうかは不透明な状況だ。高学年の女子児童2人は「もっと人に住んでほしい」「遊ぶ人が少ないから、子どもがいる人が移り住んでほしい」と話す。
 




  市によると、1958年に812人だった島民は、半数以下に減少。少子高齢化が進み、2015年4月時点の高齢化率(65歳以上の人口が占める割合)は約5割だ。若者は進学や就職で島を出ていくため、漁業の後継者不足も深刻だという。13年には、国が活性化を支援する離島振興対策実施地域にも指定されている。
  このため、16年1月から市が空き家を定住促進用住宅として借り上げ、入居者の募集が始まった。空き家は、1976年建築の木造2階建て。延べ床面積120平方メートル、間取りは7Kで、現在改装中だという。家賃は月額1万5154円(光熱水費を除く)と、市内の相場の3分の1以下だ。
  

  応募にはいくつか条件がある。島に1年以上住む意思がある、島の活性化を進める協議会のメンバーとして活動できる、島内行事に積極的に参加し、地域になじむ意思がある、などだ。必須ではないが、漁業(加工やPRなどを含む)をする意欲がある、中学生以下の子どもがいる子育て世帯、夫婦いずれかの年齢がおおむね50歳以下の世帯が望ましいという。
 



  確かに、豊かな自然の中でのびのびと子育てをしたいという人には良いかもしれない。琵琶湖だけでなく山もあり、島全体が遊び場になるし、「夏は琵琶湖で泳げるから楽しい」「運動会は島の人もみんなでやるので面白い」(高学年の男子児童)ともいう。「母親が島を気に入ったから」ときょうだいで島外から沖島小に通っている児童もいる。
 





  子どもたちはみんなきょうだいのようで、筆者の質問に生き生き答えてくれた。全校児童数百人の大規模校から15年4月に転任してきたという森本眞左子校長は「1人1人(のキャラクター)が濃いためか人数の少なさを感じない。それぞれの個性に合わせたきめ細やかな教育もできるし、穏やかな環境の中で子ども時代を過ごせるのは良いと思う」と話す。 
 

  結婚して島に来たという40代の女性は「人と人とのきずなが強いので、安心して暮らせる。子育て世代の人、若い人が来てくれたら気持ち的にもうれしい」と話す。子どもが外に遊びに行っても、島の人の目があるから安心なのだそうだ。いたずらをした時もすぐに伝わるのもいいという。
 



  入居の申し込み受付は、2016年2月26日まで(書類を郵送する場合は消印有効)。受付後の3月9日、市の担当者や島民の代表者らによる面接を行い、入居者を決める。実際の入居は、3月中を予定しているという。問い合わせは近江八幡市政策推進課まで。
 



  島には食事をするところもお店も少ないが、定期船で湖を渡れば市内に行かれるし、京都までは電車やバスなどで約1時間だ。戸惑うことも多いだろうが、島になじんでしまえばのんびりと田舎暮らしが楽しめるかもしれない。日本で唯一の島に住んでみるのはいかがだろうか。

「ライター・南文枝」』


この記事で、初めて琵琶湖の沖島を知った。

「住めば都」という言葉がある。
『どんな所でも、住み慣れるとそこが居心地よく思われてくるという意味だ。』

島を出る交通手段が船であると言うのが最大のネックである。
都会で働くサラリーマンにとっては、時間的に大変に不便かもしれない。
島で生まれた子供は、どんどん都会に移り住んでいき、残って漁師になる若者がいなくなってしまう。

しかしながら、誰もが都会で成功するとは限らない。
日本の子育て世代で、離婚などの理由で貧困家庭に陥っている人が相当数いるようだ。特にシングルマザーになってしまった家庭は深刻なようである。

統計的な数字であり、実態とは少し違うとは思うが、深刻な問題であることには変わりない。

世界的に格差社会が広がっているようだが、日本の場合には、富裕層は少なく貧困層が多いようだ。

都会は、便利であり、お金を出せば何でも手に入る。
それは、お金があればと言う前提条件があっての話である。
都会には、たくさんの働き場所があり、現金を手に入れることは容易である。
しかし、手に入れた現金で暮らすには、その現金では少なすぎる。
それが、都会で働く人間の悩みである。

都会で少ない収入で豊かに暮らすためには、家族が固まって生活することだ。
両親が60代後半、子ども2人が40代の4人で家賃4万円小さなアパートに暮らしている家族を知っている。子供たちは、結婚して独立する様子はみられない。
両親の年金も合わせれば、家族としての生計はゆとりあるものとなるだろう。

日本の少子高齢化の進んでしまう縮図である。



記事のような少子高齢化の進んだ地域が日本にはたくさんあるだろう。
そして、そこには豊かな自然資源が存在している。
そのようなところに1年でも生活してみると、人生観が変わるかもしれない。

そして、案外そこは「住めば都」の楽園となるかもしれない。












山奥の村で暮らすニート

                                                      産経新聞 217()1448分配信


『 和歌山県の山間部で地元の人たちの仕事を手伝いながら、わずかな収入で自由気ままに生活している若者たちがいる。あくせく働かず、自然に恵まれた環境で好きなことをしながら暮らす“山奥ニート”たち。かつて引きこもりだった人もおり、「楽しく暮らすのが一番」とも。そんな彼らに地元の人たちも好意的だが、こうした「自由な生き方」は新しいライフスタイルとして定着するのだろうか。(兵頭茜)
 
廃校を利用した“山奥ニート”たちの住居



 1月中旬、和歌山県田辺市五味の畑で2人の若い男性がクワをふるっていた。就労、就学していない若年無業者がニートと呼ばれるなか、“山奥ニート”を自称する石井新(あらた)さん(27)と仲間の男性(26)。この日は近くの社会福祉法人の依頼で、入所者とともに畑を耕していた。



  和歌山市から車で約2時間半。彼らが暮らすのは山間部の限界集落だ。住居は廃校となった小学校の校舎を改装して使っている。建物は引きこもりの人を支援するNPO法人「共生舎」の所有で、代表が死去したこともあり、石井さんらが管理人として移住してきた。

  ◆1か月の生活費は、19,000円と破格。

 『その内訳は、
・電気代:9000円
・水道代:無料
・ネット代:6000円
・食費:2000円
・トイレの汲み取り代:3000円
・ガソリン代:3000円
合計金額38,000円を古民家に暮らす人数(現在は2人)で折半しているそうです


『 仲間の住人は現在4人。いずれも20代の若者で、主に農作業や草刈り、梅の実の収穫など住民の手伝いをして得た収入で生活。平均年齢約70歳でわずか8人の地元住民からは、若い男手として頼りにされている。


  
「生活費が不足したときは地方の観光地やリゾート地で短期間のアルバイトをし、必要なだけ稼いで帰ってくるという。「なくなったら稼げばいい。楽しく暮らすことが一番大事」と石井さんは話す。


  今風なのは、パソコンを持ち込みインターネットを利用していること。ネット通販を使えば2日で注文品が届くといい、「山奥でも必要なものはたいてい手に入る」。漫画など娯楽もシェアし、「しゃべらないけど気にならない。もともとみんな一人が好きなので」と笑う。



  ◆ネット通販で必要なもの手に入る
 
 石井さんは、近所の猟師にもらったシカを解体して食べたり、祭りの準備などで住民と交流したりした様子をブログで紹介。他の仲間も、ネットの配信サービスなどでここでの暮らしを発信している。


 
 ◆失うものがない
 
 石井さんは関東で大学生活を送っていたころ、引きこもりがちだった。ネットなどを通じて共生舎のことを知っており、「ニートだから失うものがない」と約2年前に縁もゆかりもない田辺市にやって来た。



  「農業などいろいろなことを手伝いながらノウハウを学び、いずれは自力で生活できるようになりたい」と話す一方、「ニートって恵まれている。そのことを自覚して、楽しまなければもったいない。ここの住民はほとんど高齢者だけどみんな生活できているし、自分も『何とかなる』と思う」とも言う。
 


  ◆恵まれている。楽しまないと
 
 田舎暮らしを夢見る若者は近年増え、地域で受け入れる動きも広がっている。同県紀美野町のNPO法人「定住を支援する会」の北裕子副理事長は「情報があふれている都会に比べ、田舎では自分で必要な情報を取捨選択できる。若者にこそ田舎で暮らしてもらいたい」と話す。
 


  ◆住民はほとんど高齢者。自分も何とかなる
 
 ただ将来が見えない“その日暮らし”を懸念する声もある。
 
  和歌山大学産学連携・研究支援センターの湯崎真梨子特任教授は「今の若者は頭の柔らかい人が多く、田舎に来て、新しい発想で事業を始めたりしている」としながらも、「最初はあこがれで田舎暮らしを始めても、暮らし続けるのは大変な部分もある」と指摘する。
 


  ◆ここが実家みたいな帰る場所になれば…

 「ニートは今後も増えるだろうし、こんな生き方もあると提示したい。ここが実家みたいな帰る場所になれば…」と石井さん。4月には新しい仲間が加わる。山奥ニートはどんな広がりをみせるのだろう。』




ネットで知り合った者同士が、自然豊かな限界集落と言われる山奥で、自給自足に近い生活を送っている。

都会の激しい競争社会からはじき出されてしまったのかもしれない。

同じように人間関係で疲れてしまって引きこもっていた者同士が、山奥に住む場所を見つけた。

ブログを通して、都会で住む同じような悩みを持っている仲間に呼びかけている。

「1泊なら1000円で泊まることもできます。2日目からは500円を頂きます。一緒に田舎暮らしを体験してみませんか?ゆったりとした生活で楽しいですよ。」と言う感じかもしれない。

石井さんのブログ『ミサイルほどのペンを片手に

かつてはたくさんの人が住んでいたであろう限界集落。
そこには、先人たちのたくさんの財産が眠っている。
空家となってしまった古民家や廃校となってしまった学校の校舎。
そのようなものを修復し、無料で借りて住むことも可能かもしれない。

もちろん、不耕作地となった田畑もたくさん存在するに違いない。

古民家を自力で修復し、不耕作地を耕し、野菜やコメを作る。
一人農業は無理かもしれないが、仲間がいれば楽しいはずだ。

自給自足の生活を目指しながら、現金が足りなくなれば街まで行って、短期のアルバイトをすることもできる。
あるいは商才があれば、インターネットを通して村の産物をネット販売することも可能だろう。

競争ではなく、共存共栄の助け合い生活をベースに活動すれば、高齢者からも頼りにされ、農業などの知識を共有することも容易であろう。

若い男女が集まってくれば、恋が芽生え、子どもができ、高齢化の進んだ限界集落に春が訪れるかもしれない。

最近では、「世界の村で発見!こんなところに日本人」と言う番組を楽しく見ている。千原兄弟の番組である。

登場人物の多くは、波乱万丈な人生を歩んできた結果として、アフリカやアジアの不便な環境の中で、たくましく生活している人である。

日本とは比べ物にならないくらいの貧乏ぶりがポイントである。

なにも、外国に行かなくとも、山奥の限界集落を見つけて行けば、そこには外国以上の感動的な生活があるかもしれない。

朝から晩まで都会のブラック企業で働いて、何の楽しみも無い人生を歩んで行くよりも、のんびりと気の合う友達と、その日暮らしを満喫していくことのほうが、どれほど楽しいか。

人生は、楽しいことを求めて生きていくことのほうが素晴らしいと思う。















 

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