2015年8月24日号掲載
『 年間で子どもの自殺が一番多いのは夏休み明け――。内閣府の調査でそれが明らかになったとして、不登校の子どもたちを支援するNPO法人全国不登校新聞社(東京都)が8月18日、記者会見を開き、「学校から逃げていいんだよ」と呼び掛けた。また同日には、新学期が始まるのを前に「明日学校に行きたくないあなたへ」と題して緊急号外を発行した。
号外では、夏休み明けに、いじめに遭って学校に行けない子どもたちの自殺が多いことから、「自分自身を追い詰めないで、生きるために逃げるのです」とメッセージを寄せた。
内閣府が6月に公表した「自殺対策白書」では厚労省の「人口動態調査」を基に、18歳以下の子どもの自殺を、昭和47年から平成25年まで、365日ごとに初めて集計した。
それによると、この42年間で、18歳以下の小・中・高校生1万8048人が自ら命を絶っており、休み明けの9月1日が最も多く131人となっていた。次いで4月11日99人、4月8日95人、9月2日94人と、長期の休み明けや年度始め、新学期に多い。
こうした実態を受けて文科省は8月4日、都道府県教委に向けて通知を発出し、児童生徒の自殺予防のために、法に基づく組織的な対応の点検を求めた(5面に関連記事)。
記者会見に出席した同新聞社の代表理事で、フリースクールを運営している奥地圭子さん(74)は「いじめに遭っても、学校に行かざるを得ないと思い込んでいる子どもたちは多い。それは生き地獄だ。『逃げていいんだよ』と教える必要がある」と訴えた。
会見に同席した恩田夏絵さん(28)は、自身がいじめに遭った経験を語った上で、「自殺を考えたことがある」と話した。自殺しようとしている子どもたちに向けては「共に生きていきたいと思える人たちに出会える。生きることを諦めないでほしい」と呼び掛けた。』
『 新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。
私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。
それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。
ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。
ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。

私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。
だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。
私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理して、いま死ななくていいじゃない。
だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。』
2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口
基調講演「私の中の当り前」より (編集:小熊広宣)
私は、いつも思う。
たった一度の人生だから、自分の気持ちに正直に生きようと。
ある男が言った。
「俺の選択は間違っていなかった。」と。
私は言った。
「私は、人生の今まで、選択したことが正しかったか、間違ったかと言うことを考えたことがなかった。」と。
たとえば、誰かが「間違っているよ」と言ったとしても、だからどうなんだと思う。
人生の選択は、後戻りができないものだ。
どんな選択をしても、人生は前に進んでいかなければならない。
失敗は数限りなくしてきた。
二度と同じ間違いを繰り返すまいと思ってきた。
しかし、何度も同じ間違いを繰り返した。
間違いをしない人間も、同じ間違いを繰り返さない人間もいないと思う。
学校と言うところは、楽しくて楽しくて仕方のないところだ。
それが、死ぬほど嫌なところに感じるなら、そのような所には、行かなくとも良い。
先生とは、どんなに悪さをしても、どんなに出来が悪くとも、真剣に叱ってくれて、丁寧に教えてくれるものだ。
そうでなければ、そんなの先生ではない。
自分が虐められていても、誰も助けてくれない所には、行く必要もないし、近寄ることもやめた方が良い。
たった一度の人生なんだから、楽しいことを求めて生きていきたい。