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Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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桐生9秒87は「追い風1・5mでも9秒台」

読売新聞 3月30日(月)7時52分配信 
 

『 【オースティン(米テキサス州)=田中潤】陸上の男子100メートルで桐生祥秀(よしひで)選手(19)(東洋大)が、米テキサス州での競技会で3・3メートルの追い風参考記録ながら9秒87の快記録で走った。

  陸上競技の記録を分析する専門家によると、公認ギリギリの追い風2・0メートルなら9秒96に相当するという。今季初戦で海外の強豪にも競り勝ち、日本勢初の9秒台突入へ大きな弾みをつけた。

 
 1メートル75、69キロの桐生選手は鋭いスタートから中盤でトップに立つと、左隣で2012年ロンドン五輪5位のライアン・ベイリー選手(米)を0秒02上回って1着でゴール。電光掲示板の記録を見ると跳び上がって右手でガッツポーズ。「びっくりした。参考記録でも9秒台を体感できた。帰ったら(9秒台を)期待されると思うので、しっかり走りたい」と笑顔を見せた。

  追い風2・0メートルを超えた記録は公認されないが、電気計時で日本勢の9秒台は初めて。手動計時では1995年に伊藤喜剛(よしたか)選手が追い風9・3メートルで9秒8を出していた。

  国際陸上競技統計者協会会員の野口純正さんの研究によると、追い風3・3メートルでの9秒87は、追い風2・0メートルなら9秒96に相当し、追い風1・5メートルでも9秒99が出た計算になるという。

 
 10秒00の日本記録を持つ伊東浩司さん(45)は「素晴らしいの一言。

追い風でも9秒8台はとてつもない。

期待されている局面(9秒台)はあっさり訪れるのでは」と、自身の記録が破られる日が近いことを予想した。』
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伊東浩司                                                                                  朝原宣治

1. 10秒00伊東浩司1998年12月13日

2. 10秒01桐生祥秀2013年4月29日
3. 10秒02朝原宣治2001年7月13日
4. 10秒03末續慎吾2003年5月5日
5. 10秒07江里口匡史2009年6月28日

6. 10秒07山縣亮太2012年8月4日
7. 10秒09塚原直貴2009年6月27日
8. 10秒11川畑伸吾2000年9月2日
9. 10秒13田島宣弘2002年5月6日

10. 10秒13高瀬慧2014年4月29日




末續慎吾

追い風3,3mというのは、そよそよと吹いている風のような感じである。
けっして、びゅーっと吹く風ではない。

9秒87という記録は、もの凄い記録である。

昔の手動記録で言えば、0秒24引いた記録となる。
すなわち9秒6という数字になる。

東京オリンピックの100m選手の飯島選手の当時の日本記録は10秒1である。
電気計時に換算すれば、10秒34と言うことになる。
東京オリンピックで優勝したボブ・ヘイズの記録が9秒9であった。

風がどんなに吹いても、9秒6と言う記録はまぐれでは出ない。
すなわち、桐生選手は確実に9秒台の記録を出せる力がついているという証明だ。

怪我さえしなければ、今年中に9秒台の日本記録誕生となるだろう。
その日は何時か!

非常に楽しみである。






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畑の一角にある花壇

趣味の菜園のある場所は、大人の遊び場である。
金魚ハウスが建っているし、ハウスの中にはにわとり小屋もある。
また、薪ストーブもある。

その畑の一角に10坪ほどの花壇がある。
花の好きな妻のために、作ってある花壇である。



最近は、家の花壇作りに夢中で、ちっとも畑に来ない。
野菜作りだけでなく花壇の手入れまで、私に任せてしまったようだ。
おまけに、草取りまで私がやっている。




お花畑から、段々と実のなる果樹を植えて、果樹園に変わっていく感じだ。
それは、私の趣味の分野である。
金柑が1本。みかんが3本。そして、ブルーベリーは、5本。

奧のビニールハウスの中には、ブドウの木がある。



家にあったヒヤシンスを畑の花壇に持ってきて植えたら、元気に育って増えている。




家の花壇にあったミニ水仙が増えたので、畑の花壇に移植された。





畑の花壇は一日中日当たりが良いので、ラッパ水仙はたくさんの花を咲かせる。




ボタンの花は、5種類ある。
ずっと昔に、牡丹園に行った時に黄色いボタンを一苗買ってきて植えた。
それから、毎年一本ずつ仲間が増えていった。




こちらのつぼみは、確か黄色のボタンである。




明日は日曜日、今日のようにぽかぽかとした天気であるなら、この畑のご主人様を誘ってみようと思う。
花壇の草もほとんど取ったが、少しだけ彼女のために残してある。
全部綺麗にしたのでは、たのしみが半減するだろうから。











3月28日 我が家の花壇

ぽかぽかと上天気である。
東京では桜が開花し、花見客でにぎわっていることだろう。

我が家の花壇にも花々が色とりどりに咲き始めている。

毎年タネを取り、苗を育て、次の世代へと命をつないでいる
                     西洋サクラソウ









我が家の花壇のメインひな壇



通りに面している我が家の花壇


東側は、10軒の家作が並ぶ



パンジーも花を増やしつつある




立木十一面観音 3月現在の様子

立木十一面観音 3月現在の様子
 
立木観音像とは?
 
「立木観音(たちきかんのん)とは根を張った立木(りゅうぼく)を彫って作ったとされる観音菩薩像。
 
畠山仏師は今日も東日本大震災の罹災者供養と被災地早期復興を願い、観音様を彫りだしています。



畠山氏は、昔の私の上司である。
現在は、遊び仲間であるが、趣味が高じて「仏師」となった人物である。

昔から変わったことをやる人であった。
例えば、畑に巨大サツマイモを栽培したり、
ドラム缶で炭作りをしたりという具合だ。

私も多趣味であるが、私との違いは、その深さである。

仏像彫りを趣味で始めてまだ数年しか経っていない。
それなのに、4mを超える高さのいちょうの木を仏像に彫り上げるなんて、できるのだろうか。

完成までには、5年以上はかかるだろうと言っていたが、どうやら顔作りに取りかかったようだ。

そろそろ、取材に出かける必要があるだろう。



『いかがお過ごし〓金魚もメダカも活発に動くいい季節〓今日はジョギング会…のあと、現場です〓ノジサンは金魚畑小屋〓今日の、立ち木観音…顔作りが始まり、楽しくなりました…写メ〓〓送ります〓』











以下 画像転載元 PRINCOの今日のパチパチ














高橋尚子理事も憤慨する陸連の「マラソン代表選考の内情」


                                                           2015年3月22日 9時0分 東スポWeb   
 

『 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストで日本陸連の高橋尚子理事(42)が陸連のずさんな対応に悲痛な声を上げた。

 世界選手権(8月、北京)の女子マラソン代表選考は、昨年11月の横浜国際で優勝した田中智美(27=第一生命)が落選し、1月の大阪国際で3位(日本人トップ)だった重友梨佐(27=天満屋)が選ばれた。増田明美氏(51)が「おかしい!」とかみつき大騒動となったが20日、高橋氏も「憤慨している」と怒りの胸中を明かした。

 高橋氏の本音は「田中さんが一歩有利だったと思います」。ただ、不満は選考そのものではなく、陸連の姿勢に対してだ。代表選考は記者会見直前に最終決定機関の理事会に諮られた。高橋氏は即座に異議を唱えたが、陸連側は「強い人を選んだ」の一点張り。


重友梨佐(27=天満屋)              田中智美(27=第一生命)

       

「何の説明もなく(理事会で)決議をとられることはなかった。『強い人を選んだ』というひと言だと伝わらない。ちゃんと説明があれば、ここまで大きなものにはならかった」と高橋氏は首をひねる。


 さらに疑問を感じたのは今回が初めてではなかったという。一昨年に理事に就任した高橋氏は当初から大会によってペースメーカーの導入にばらつきがあることを問題視していた。「ペースメーカーがいるといないでは私自身、全然違う」。経験に基づく訴えだった。ところが、陸連は「1年前に決まったことなので無理です」と改善の気配は示さなかったという。

 力不足を痛感し理事として「このままやっていていいのだろうか」と進退も考えたが「もう少し(選手のために)できたかなと思う」と戦っていく気持ちが芽生えた。
 現状では田中も重友も“被害者”に変わりない。「重友さんが頑張れば評価される。でも、今のままの選手の気持ちはかわいそう」。高橋氏の発言は誰もが納得するもの。陸連の責任ある対応が求められる。』


強化委員会



強化委員会 委員長 原田 康弘

「7年間にわたり、100メートル、200メートル、の他、400メートル、1600メートルリレーでトップを保持し続けました。」

1955年(昭和30年) 宮城県石巻市で誕生。 
1974年(昭和49年) 日本体育大学入学。 
1977年(昭和52年) 日本体育大学卒業。 
1989年(平成元年) 日本陸連強化委員会男子短距離部長。 
1997年(平成9年) 日本陸連女子短距離強化部長、日本代表短距離ヘッドコーチを歴任。 
2012年(平成24年) 日本陸上競技連盟、強化委員会・委員長に昇任。 

『強化委員会は、選手強化に関する(ユース、ジュニアを含む)強化基本方針の策定及び実施や、日本代表選手の選考案作成、強化競技者の指定、競技力向上のための環境整備、一貫性指導の研究と実践、協力団体強化委員会との連絡調整に関することを行っています。』


世界選手権の代表選手やオリンピック選手の選考は、強化委員会が中心となって、決める。
今回も原田氏が中心となって、決定したのだろう。

陸連の強化組織は、少し変わっている。

土井杏南選手

例えば、ロンドンオリンピックに、女子400mリレーで、日本初の高校生が選手に選ばれた。
当時埼玉栄の土井杏南選手であった。

同時に選手に選ばれた高橋萌木子選手も埼玉栄のOBであった。

リレーメンバー4人のうちの二人が埼玉栄出身であった。
当然ながらリレーの監督は、埼玉栄の清田監督であった。
当時の彼の肩書きは陸連強化委員会の短距離副部長であった。

                                    高橋萌木子選手
部長は、年収が1千万円を超えていたそうだ。
オリンピック前に、何度も練習会が行われ、清田監督が中心となって調整練習を行ったという。もちろん彼は陸連からお金を貰っているわけでない。

二人を育てた高校の監督と言うことで、無償で奉仕したのである。

面白いことに、ロンドンオリンピックが行われた時に、彼は実費で応援に行った。
陸連からは、旅費どころかオリンピック会場の入場券すら貰えなかった。
肩書きだけが「短距離強化副部長」ということで、ただ働きさせられたのである。

それどころか、高橋萌木子選手が平成国際大学に進み、清田監督が短距離の指導をして、育ててきたのに、後輩の土井杏南選手は、清田先生の手を離れて、陸上部の短距離の実績のない大東文化大学に進路が決まっていた。
恐らく、陸連が裏で動いたに違いない。選手を奪い取ってしまったのである。

人の良い清田先生であっても、陸連の卑怯な裏工作に対しては、はらわたが煮えくり返ったに違いない。

相撲協会が腐っていると何度も改革を迫られた歴史があるが、陸連も同じような体質を持っているのだろう。



陸連の組織は、選手時代の実績で役職が決まる。
指導実績などは、まったく評価されない。
高校の指導者や監督がどんなに素晴らしい実績をあげ、選手を育成しても、彼らは評価しない。
なぜなら、自分の食いぶちを減らされることを恐れるからである。

増田明美選手を育て、オリンピック選手に育てたのは、成田高校の故滝田監督である。また、高橋選手をオリンピックで優勝させたのは、元高校の監督だった小出氏である。二人とも偉大な名伯楽であるが、陸連は、彼らを邪険にしてきた歴史がある。

増田明美選手や高橋選手と言えども、陸連に楯突けば、彼らはきっと卑怯な手段を使って、口封じを仕掛けてくるだろう。
陸連というのは、そのような組織である。











春爛漫

近所の知り合いの庭の花を見に行ってきた。


河津桜が満開であった。




名前がわからない。
八重のサクラのような花である。




こちらも桜だと言うが、咲き方が変わっている。





こちらは椿であるが、赤と紅白の咲き分けである。






こちらの椿は、濃い深紅である。
椿だけで5,6種類の花が咲いていた。





3月お彼岸 我が家の花壇

三月ももう下旬となり、我が家の花壇も花々が咲き始めてきている。

玄関の横には、クリスマスローズが色とりどりに咲いている。





黄色に咲いているのは「リュウキンカ」




ひな壇を飾るのは、西洋サクラソウ。
毎年こぼれたタネから苗作りをして、新年早々から咲き出す。
花色は3種類。白とピンクと濃いピンクである。






正面から見た花壇である。
まだ、ひっそりと咲いている感じである。
賑やかになるのは、もう少し暖かくなってからであろう。




ミニ水仙もようやく咲き出した。






今年導入した「ボロニア」である。
なんとスーパーに置いてあった。
オーストラリア原産の花木である。
やや夏の湿気と冬の寒さに弱いようだ。

最初にときめいたのは、妻であった。
「ほしいな!」
「買ったら!」
「買う。」
値段1300円。妻にはめずらしく、決断した。



ボロニアの拡大画像











ネコタワーを移動した

部屋の奥にあったネコタワーを、窓際に移動した。
今まで一度も登らなかった最上階のハンモックに、始めて登った。


























話題の赤とんぼ先生、特命准教授とは?


『特命教授とは、あまり一般的でなく、この制度を持たない大学が多いです。
ただし、一部の大学では、上の特任教授と同じように使うようです。

ほかには、学長決裁などトップダウンで特別に任命する場合もあります。

その場合、意味としては客員教授とほぼ同じ立場ですが、大学の規程により
客員教授の資格に達しない人の場合に、特命とするのでしょう。

 客員で教授の資格に達しない場合は、客員准教授という職階を使うのが
一般的ですが、「准教授」では相手に失礼な場合(有名人など)に、
 特命教授という肩書きは便利なんでしょう。

 一般的な非常勤講師の場合は、きっちり決められた回数の授業をして
成績もつけますが、特命教授は授業する回数は大学との契約で決まります。

 客員教授と同様に、勤務実態や待遇は人によって実にさまざまでしょう。
ただし、特命教授の場合は、それほど高額の報酬とは思えません。』
 
特命准教授とは、契約期間付きの准教授のことである。タダの准教授と違って、ずーと、その大学に居られるという保障の全くない、不安定な身分の先生である。

 従って、安月給の上に、常に功績を上げなければクビになるという立場であり、『赤とんぼ先生』も常に追い詰められた地位と心境に置かれていたと想像できる。』


こどもの教育は親がするものである。

私の勤めている会社の正社員がこの3月に退職する。

理由は色々あるだろう。

彼は高卒で入社して5年が終わった23歳の男性社員である。

高校時代の同窓生が大学を卒業して、同じ会社の営業部門に就職した。
3ヶ月の研修で、彼と同じ物流部門のこの会社にやってきて再会した。
仕事内容は、整備作業である。
グループ会社では、一番の3k職種の部門の会社である。
朝から晩までホコリ舞う薄暗い大きな倉庫の中で、汚れた机やイスを整備する。
力作業もある。

しかし、3ヶ月の研修が終わると彼は、本社の営業部門へ戻る。
初任給は、基本給が20万円弱である。

一方、高卒で入社して5年目の彼のほうは、基本給が16万2千円である。
4年間で1万2千円昇級しただけである。
彼はこの会社では、50人中5人ぐらいしかいない総合職のエリートである。
一般職は、彼と同じに入った者が、15万4千円である。
つまり、1年に1000円しか基本給が上がらない。

9月に保管グループから運営グループに移動した。

この会社では、保管グループは作業員としての仕事がメインである。
運営グループは、会社全体の推進部門だ。
仕事内容は、他のグループ会社との連携や商品管理が主である。

グループ会社の全体像は、
グループ会社全部の人事・財務を担当するホールディング会社を頭に、リース業の営業部門を担当する会社が利益を稼ぎ出す部門である。
その末端で流通と商品の整備と保管を請け負っているのが、私のいる会社と言うことになる。

彼は、末端の会社の中の一番重要な心臓部門に配属になったことで、始めてグループ会社の全体像を理解することが出来たのだろう。

45歳にもなって、薄暗い倉庫の中で、ホコリにまみれ、朝から晩まで、自分よりもはるかに年下の上司から、糞味噌に文句を言われながら働いている先輩を見て、将来の自分の姿を想像して、耐えられなくなったのかも知れない。



有給を消化しながら、彼が何度か私の所にやってきて、近況報告をしてくれる。

コープの配送部門の1次試験に合格したそうだ。
当面は、働きながら勉強して2級建築士の資格を取得したいと言っていた。

「この前、兄と父親と3人で飲んだんですよ。その時に始めて、父親の本音を知りました。」
「どうだったの?」
「父は私たち兄弟に、大工の仕事を継いでほしかったみたいです。」

彼の父親は30代の時に農業をやりながら大工の見習いとなって仕事を覚え、やがて大工の棟梁になったそうだ。父親の年収は農業と大工仕事を合わせて、数千万円の売り上げがあるそうだ。
そして、兄は大学を卒業し、建築関係の会社の正社員であり、現在一級建築士の資格を取るために勉強しているという。

「父親が、お前達にその気があるのなら、一緒に会社を興そうと言ったのです。現在父親は、建築関係の仕事を請け負って、下請けに回す仕事を中心にやっているそうです。今年度は、すでに2000万円の利益がでていると言ってました。」

「とてもいい話だね。」
「ええ、なんか将来が明るくなってきた感じです。」


サラリーマンは、学歴があっても出世するとは限らない。
しかし、学歴が無ければ、出世するどころか、低賃金で働かされ、常にリストラのリスクにさらされる。
これからはますます、厳しくなっていくだろう。


彼の父親は、二人の息子の教育を丁寧にやった感じを受ける。
長男には、大学まで進ませ、建築関係の会社に就職させながら、次男の「機が熟す」のを待っていた感じがする。


工務店の仕事とは?





私の教え子に「あなたの街のペンキ屋さん」の社長がいる。

彼の父親は、夫婦で塗装屋を営業していた。教え子は彼の長男である。
私の家の壁は父親に、二度ほど塗り替えて貰ったことがある。















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