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のじさん

Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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今年も残念な結果 紅葉ミニ庭園

今年も期待はずれな「紅葉ミニ庭園」10月までは、ナナカマドを除き、紅葉する木々は、順調な生育をしていた。
 
しかしながら、葉っぱが紅葉せず、枯れ葉となって落ちてしまった。
 

 
 
 
かろうじて、真っ赤に紅葉したのは「ハゼの木」である。
 

 
 
 
 
「いろはもみじ」が若干紅葉した。
画像奧にある「にしきぎ」と「ハゼの木」はこれから真っ赤に紅葉していくだろう。
 

 
 
 
こちらは、「はうちはかえで」であるが、夏に伸びた葉が真っ赤に紅葉した。
夏に伸びた徒長枝を全て切ってしまって、新葉を残さなかったのが、残念な結果である。
 
 
春に出た新葉は、堅くなって赤の色が乗らず、茶色く枯れて落ちてしまった。
 

 
 
 
独特の赤に紅葉する「しらき」も紅葉せずに散ってしまった。
メグスリノキは、葉っぱが残っているが紅葉しない。
 
真ん中にある小さな「にしきぎ」は紅葉しているが、葉っぱの数が少ない。
手前にあるのは「はぜのき」である。
 

 
 
今年で4年目の秋が終わろうとしている。
もの凄く期待した一年だった。
 
しかし、結果は残念であった。
 
来年度は、過度な期待をせず、剪定もやらないで、伸びるだけ伸ばそうと思う。
 
全体的に木が小さくて、葉っぱの絶対数が少ないことも原因しているのかも知れない。
 
 
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今年で4年目のたくわん作り

今年で4年目のたくわん作り
 
今年は、「タクワン作りのレシピの永久保存版」を少し変えようと思う。
理由は、後輩の奥さんが作ったタクワンを食べて、考えが変わったからだ。
 
「自然流」というレシピが後輩の奥さんのタクワン作りである。
ぬかと食塩だけでタクワンをつけ込む。
もちろん黄色くなるウコンの粉も使用しない。
やや減塩であり、なんとも言えない田舎風の味わいあるタクワンである。
 
「レシピを教えてくれ」と言ったら、「塩加減も感でやっているので、わからない」と言うことだ。
 
2014年度 新レシピ
 
<材料>
 
① 大根 17.0kg
② こめぬか 1,7kg(10%)
③ 塩 680g(4.0%←4.5%) 甘塩での漬け込み分量(1~3ヶ月が食べ頃)
④ ざらめ 425g(2.5%←4.5%
⑤ 昆布 30cm~40cm
⑥ 赤唐辛子 20本~30本
 
 
食塩の量をさらに減塩し、4.5%から4.0%にした。ザラメは大きく分量を減らした。
私の今までのタクワンは、市販されている味に近づけたものであり、分けてあげた方から「とても美味しい」との評価を頂いていた。タクワンが余り好きでない妻も美味しいと言った。
しかしながら、タクワン大好きな私は、妻の5,6倍は食べるので、甘塩にしたのだが、それでもやはりたくさん食べると塩辛い。また、甘すぎる感じがした。
 
後輩の自然流のタクワンは、たくさん食べても飽きが来ない。
こどもの頃、母親が冬にたくさん漬けこんだタクワンの味に、どこか似ていて郷愁を感じさせる味であった。
 
 
 
 
先ず、ダイコン作りから行う。
画像右がタクワンダイコンで、収穫期。
種を蒔けば、ダイコンは育つが、そう簡単ではない。
 
収穫時をねらって種を蒔くのである。
普通の農家の畑であれば、一日中日が当たるので、収穫時期を予想するのは容易かも知れない。
 
しかし、私の畑の隣には杉の木が植えてあり、10時ぐらいまで日が当たらない。
さらに、西側にも杉林があり、3時頃には日がかげってしまう。
つまり、1日の日照時間が5時間ぐらいである。
 
ダイコンを収穫するのが11月の中旬ぐらいに設定する。
2週間ぐらいダイコンを干して、つけ込むのが12月初旬ぐらいである。
そして、過去の経験では漬け込み後、5,6週間で食べられる。
本当に美味しく漬け上がるは、2ヶ月ぐらいだろう。
 
つまり11月の中旬に収穫するためには、8月下旬か9月初旬に種まきをすると良いことが経験的にわかっている。
 
後輩も一緒の畑にタクワンダイコンを作っているが、まだ収穫時期に来ていない。おそらく12月の中旬か下旬になってしまうだろう。
それは、種屋さんの言うことを鵜呑みにして、種を蒔く時期が遅れてしまったからである。
 
「種屋さんが教えてくれる種を蒔く時期は、一般の農家の畑をイメージして言っている。私の畑は、回りを山林に囲まれている条件の悪い畑である。 私の言うことの方が正しい。なぜなら私は長年この畑で作物を作っているので。」
 
 

 
 
 
ダイコンを綺麗に水洗いする。
 

 
 
 
そして、二本ずつ束ねて干す。
 

 
 
大根を2週間干す。画像は2週間干したダイコン。
 

  
 
大根の両端を切って形を整える。
 

 

大根の重さを量る
 

 

食塩の重さを量る
 

 
ザラメの重さを量る
 

 
ぬかの重さを量る
 

 
 
ぬかを一番下に敷いて、大根を並べた後に、ぬかと調味料と昆布と色粉と塩を混ぜていく
 

 
 
 
調味料  昆布 唐辛子 黄色粉(ターメリック)
 

 
  
完成
 
重しは、10kg+20kg
 

 
 
 
 
昨年度の漬け上がりの画像
 

 

ロバート山本TKOデビュー!プロボクシング

2014年11月27日 7時0分
スポニチアネックス  
 
『  お笑いトリオ、ロバートの山本博(36=イマオカ)が26日、東京・後楽園ホールで行われたプロボクシングのフェザー級4回戦でデビューし、4回1分11秒、TKO勝利を飾った。


 
 
 同じくプロ初戦の高橋陸(26=フラッシュ赤羽)の強打を食らって2回には鼻から出血する場面もあったが、4回に右フックから連打を浴びせ、レフェリーのストップを誘った。試合後は左目を真っ青に腫らしながら「メチャクチャ面白かった。ルミネ劇場で味わう100倍くらい」と笑顔。
 
 
 テレビ番組の企画で08年にライセンスを取得し、37歳のライセンス失効前に初めてリングに立ったが「定年は(37歳の誕生日の)来年9月なんで」と2戦目にも色気十分だ。新人王に挑戦するプランも浮上した。  』
 
 
 
 

競争の激しい芸能界。
特に人気のお笑い系では、一発屋が多い。
 
一発当てると、潰れるまでどの番組でも引っ張りだこである。
 
テレビ局側で、他局に独占されないように、とにかく出演させて、他局の差別化を阻止するためだろう。
 
そのような芸能界の世界で、生き残るには、芸の人気だけでなく、本物の技が必要となる時代かも知れない。
 
猫ひろしのようなインチキではダメだ。
 
 
 
 
 
 

みみの日課

みみの日課
 
朝食が終わって、しばらく休んでから、みみのお母さんと一緒に隣の塾の教室に行く。
 

 
 
 
みみは、何をして遊ぼうかと考えている。
 

 
 
 
 
 
塾用の掃除機を買ってきた箱を見つけた。
みみは早速、段ボールの家を遊び場にしてた。
 

 
 
 

 
 
 
みみは、段ボール箱が大好きである。
どんな小さな箱でも、見つけると必ず入ろうとする。
そして、その後は入ったり出たりして、ひとりで遊んでいる。
 
 

 
 
 
 
 
塾の教室のお掃除が終わって、家に帰ってくると、お気に入りの椅子の上に上がって、一眠りする。
箱遊びに疲れたのだろう。
 
 
 

 
 
 
 
時々起きては、お母さんにちょっかいを出す。
 

 
 
 
 
 
本当は、まだねむいようだ。
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

高萩の花貫渓谷に行ってきた。

毎年、この時期に故郷の高萩市にお墓参りに行く。
両親と長男がすでに亡くなっている。
実家と一番上の姉の家に寄ってくるのが年中行事となっている。
 
そして、帰り道に花貫渓谷を通って、袋田の滝まで足を伸ばす。
 
 
しかし、今年は様子が違った。
花貫渓谷は、高萩インターから3kmぐらいの所にある。
今年は3連休で、からりと晴れた天気だった。
 
今年は、少し観光客が増えているかなと思った。
 
 
なんと連休前の21日(金)にテレビ中継があった。
 
『11/21(金)のテレビ朝日「グッド!モーニング」のお天気中継は、茨城県を代表する紅葉スポットの1つ、高萩市の『花貫渓谷』より生中継の予定です!ぜひ、ご覧ください!』
 
 

 
 
案の定、花貫渓谷の入り口の信号の所からすでに渋滞が始まっていた。
上記の画像の橋にたどり着くことは出来なかった。
 

 
昨年度は土日の2日連休であり、天気も小雨模様だった。
今年は、3連休であり、今日は中日の日曜日。
しかもからりと晴れてぽかぽかとした天気であった。
 
そして、なんと言ってもTV中継が直近の金曜日にあった。
 
車のナンバーも東京や埼玉方面からの観光客がたくさん見られた。
 
 
上記の吊り橋にいける駐車場も、その上の渓谷の中程の駐車場も満車御礼で、車を止めることは出来なかった。
多くの車が、路上駐車をしていた。
 
この花貫渓谷は、5,6年ほど前から毎年行っているが、こんなに込んだことは一度もない。
知る人ぞ知る紅葉を楽しめる穴場だと思っていた。
 
その先の袋田の滝は、10年ぐらい前からこの時期の晴れた日は、滝近くの駐車場まで近づくのは無理であった。雨の日だったりすると近づけるので、何年かに一度は行っている。
 
来年からは、晴れた日は、高萩市の隣の北茨城市にある花園渓谷を通って帰ることにしようと思う。
 
 
 
 
花園渓谷抜けて、小滝沢キャンプ場の道路脇の紅葉が綺麗であった。
 

 
 

 
 

 
 
 
 

みんなの党 解党、生活の党 離脱。

 
『みんなの党は19日、両院議員総会を衆院議員会館で開き、賛成多数で解党を正式決定した。』
 
『すかさず隣に鎮座していた渡辺氏が「有権者の声を聞け!」と怒号をかぶせ、会場は騒然となった。』
 

 
 
 
『生活の党の鈴木克昌幹事長(比例東海)と小宮山泰子国対委員長(比例北関東)が離党し、民主党に移籍することで合意した。』
 
 
『それぞれ衆院選で勝ち残れるよう考えてほしい』
小沢氏が衆院選に立候補を予定している現職らに、選挙戦で有利だと判断した場合、離党を認める意向を伝えていたことが判明。
 

 
 
 
 
その昔、暴れん坊の郵便屋さんにぶっ壊された自民党からどんどんと逃げ出していった政治家がいた。
 
沈み行くどろ舟に好んで乗る者はいない。
 
国民も自民党を見限ってしまった。
 
そして、少しお灸を据えようとしたら、みんなが同じことを考えて、間違えて民主党政権を誕生させてしまった。
 
そうしたら、そこへ土足で乗り込んできた逃げ出し組がいた。
 
案の定、民主党政権は、日本経済にとどめを刺しただけでなく、自民党の膿を全部はき出してしまった。
 
お陰様で、再び砂上の楼閣のようなアベノミクス自民党が誕生した。
 
さて、今回の「閣僚失格者続出はぐらかし解散」でどうなることか。
 
 
 
 
 
 
 

「黄色いハンカチ」施設公開

 

 
『高倉健さんの死去を受け、主演映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地となった北海道夕張市などは18日、展示施設「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」(写真)を19日から今月末まで臨時オープンすると発表した。』
 
 
 

『 日本映画全盛期の1956年にデビューして半世紀余、日本を代表する俳優の高倉健さんが亡くなった。
 
  自らを「不器用」と称し、武骨で人間味あふれる男の生き様をスクリーンやテレビで見せ続けた「健さん」。生涯205本の映画に出演し、映画を愛し続けた「最後の映画スター」だった。
 
  高倉さんの所属する高倉プロモーションが18日昼前に発表した。高倉さんは次回作の準備中に体調不良で入院し、治療を続けていたが、10日未明、容体が急変して息を引き取ったという。発表文には「都内の病院で旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でした」と記されていた。
 
  「あれだけ健康に留意していた健さんが私より先に亡くなるなんて」。映画「駅/STATION」の脚本を手がけた倉本聰さんは、沈痛な様子で語った。「自分より年下でも、相手が板前さんでもタクシー運転手でも駅員さんでも、きちんと立ち止まって礼をする人だった。プライベートを明かさない、俳優らしい最後の俳優だったかもしれない」と惜しんだ。
 
  長年交遊があった俳優の千葉真一さんは新人時代、撮影所でスタッフとけんかをして俳優をやめようとした時、休みにもかかわらず一緒に撮影所内を謝りに歩いてくれたことがあるという。「人生においても俳優としても唯一尊敬し続けた方でした」と語った。
 
  高倉さんが出演した「あゝ同期の桜」(67年)でメガホンをとった映画監督の中島貞夫さん(80)は「役作りに執念を持ち、役と一体になりきる人だった。存在をすべてかけて映画を撮っていた希有な俳優だった」と振り返った。
 
  高倉さんは、俳優業を「生きるために出会った職業」と言い切った。映画で見せた、仁義を重んじ、男気に満ちたストイックな人物像。76年に東映を退社後も硬派のイメージはそのまま、「八甲田山」「動乱」で、明治の軍人や二・二六事件を主導する青年大尉を演じた。77年の山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」で若者たちと心を通わす元受刑者役で、ファン層を広げた。』
 
 
『18日、日本メディアによると、俳優の高倉健氏が悪性リンパ腫のため、10日に都内の病院で死去した。偉大な俳優の訃報に中国のネットでは数多くのコメントが寄せられている。写真は高倉氏の訃報に注目する中国のネットユーザー。 [ 拡大 ]
 
2014年11月18日、日本メディアによると、俳優の高倉健氏が悪性リンパ腫のため、10日に都内の病院で死去した。83歳だった。
 
高倉氏は紫綬褒章や文化功労者、文化勲章などを受賞した日本を代表する俳優で、日本のみならず、中国でも多くのファンを持っている。偉大な俳優の訃報に中国のネットでは数多くのコメントが寄せられている。
 
「倉健主演の日中合作映画『単騎、千里を走る』は強く印象に残っている。彼の代わりは誰にも務まらないし、マネすることもできない」
 
「男の中の男だ。日本人だが、素晴らしい俳優であることは間違いない」

「私が尊敬する数少ない日本人。一時代の象徴的な存在」
 
「芸術に国境はない。非常に素晴らしい俳優だった」
 
「日本の俳優で唯一好きな役者」

「多くの中国人に影響を与えた尊敬すべき人物」
 
「悪に立ち向かう男の力強さを確立した偉大な映画人で芸術家だ。安らかな眠りを心より祈る」
 
「小さいころに彼のドラマを見て日本が好きになった。庶民は政治に影響されるべきではない。平和を愛する日中の庶民は友好的に交流すべきだ」(翻訳・編集/内山)』
 
 
 
黄色いハンカチ
 

『刑務所帰りの中年男が、偶然出会った若い男女とともに妻の元へ向かうまでを描いた山田洋次監督によるロードムービー。過去を持つ主人公の物語と若いカップルのラブストーリーが北海道の四季とともにつづられ、1977年に公開されるや大ヒットを記録し、その年の映画賞を独占した。主演は名優・高倉健、その妻役に倍賞千恵子、製作当時映画初出演の武田鉄矢、桃井かおりらが共演。
 
あらすじ
 
新車を買って、あこがれの北海道をドライブする欽也(武田鉄矢)は、一人旅の朱美(桃井かおり)をナンパして二人で旅を続ける。途中、出所したばかりの中年男・勇作(高倉健)と知り合い、3人は旅を共にすることに。やがて勇作は、「自分を待っていてくれるなら、家の前に黄色いハンカチを掲げておいてくれ」と妻に手紙を書いたことを打ち明ける。 』
 

家庭菜園の心得

近所に家庭菜園をやっている女性がいる。
年の頃は60代後半のお婆ちゃんだ。
 
家庭菜園のやり方は、シャベルか鍬を使ってやる手作業である。
広さは100坪ほどの広さはあるだろうか、姉妹で半分ずつやっているようだ。
 

 
ダイコンが5,6本作られていたようだ。
そのダイコンが何者かに3本ほど抜き取られてしまったという。
妻がその人に会った時に、カンカンに怒っていたようだ。
 

 
 
朝、その畑を通りかかった時に「盗むな!」と大きく書かれた看板が立っていた。
 
そのメッセージの目的はなんだろうか。
盗んでいったものに対して、言っているのだろうか?
 
あるいは、道行く人に読んで貰って、自分の悔しさの憂さ晴らししているのだろうか。
 
 
 
私だったら、5,6本ではなくて、100本ぐらい作るだろう。
2,3本知らない人が抜いていっても、気づかないだろう。
 
私は、つねに、二家族分を作っている。
そして、食べきれない分は、畑のまわりの人にあげたり、家の近所の人にお裾分けをしたりして、喜ばれている。
 
 
「盗むな!」と書かれた看板の奥の方に、ダイコン畑が見える。
10坪にも満たない畑だ。
知り合いがそのおばあさんの借りている畑の一角を貸してもらったという。
自分たち姉妹は90坪ほどの拾い畑を草ぼうぼうにしながら、お世辞にも上手だとは言えない。
 
その10坪にも満たない畑には、ダイコンが20本から30本ほど作られている。
こちらは綺麗に手入れされていて、一本も抜かれた痕はない。
 
盗んだ者は、どうして5,6本しか植えていないダイコンを抜いていったのだろうか?
 
 
 
私は、「盗むな!」の立て看板に、全てが物語られているように感じる。
 
 
 
 
 
 

■円周率100桁記憶に挑戦!

■円周率100桁記憶に挑戦!

 『では、さっそく、円周率100桁の記憶に挑戦してみましょう。小数点以下100桁まで表示した円周率は以下の通りです。

 3.1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 5820974944 5923078164 0628620899 8628034825 342117067

 これをゴロ合わせによって、言葉に変換したものがこちら!

 「産医師異国に向こう。産後薬なく産婦みやしろに。虫さんざん闇に鳴ころにや、弥生急な色草、九九見ないと小屋に置く。仲良くせしこの国去りなば、医務用務に病む二親苦、悔やむにやれみよや。不意惨事に言いなれむな」

 かなり無理のある文章ですが、数字の羅列に比べ、これなら覚えられると思いませんか? もちろん、1回読んだだけで覚えられません。何度も何度もくり返すことは必要です。』
 
 
 
 
昔、中学で数学を教えていた時に、無理数である円周率=πが出てきた。
π=3,1415929535・・・・・・・・教科書にはもう少し長く書いてあった。
 
そこで、私が「3.1415926535 8979323846 2643383279」と続けた。
「どうあってる?」とこども達に聞くと、教科書の数字と合わせて「へぇー、すごい!」となった。
 
「産医師異国に向こう。産後薬なく産婦みやしろに。虫さんざん闇に鳴く」の語呂合わせを覚えていたのである。
 
こども達というのは、なにか彼らに出来ないことを一度でも見せてやると、驚いて一目置いたりするものだ。
 
体育を教える時は、必ず高鉄棒の所に連れて行って、得意な演技を見せてやる。
「振り上がり→ともえ→蹴上がり→飛び越し下り」という連続技を見せてやる。
鉄棒の得意な人なら、なんてこと無い基本の連続技だ。
しかし、懸垂ぐらいしかできないこども達にとっては、まるで体操選手の様な凄い技に見える。
 
学校を変わって、初めての体育の授業の時に、必ず見せる演技だ。
それ以後は、多少のことがあっても、こども達は一目置いてくれているので、授業がとてもやりやすい。
 
こどもと先生の関係は、最初にレベルの差を見せつけてやることが大事だと思う。
 
今の先生は、親やこども達にバカにされている。
専門知識のレベルが低すぎるのか、親の方がレベルが高いのか、よくわからないが、もう少し自己のスキルを高める必要があると感じる。
 
中学時代に、パソコンでHPの作り方とゴルフクラブを作って、ゴルフを教えてやった教え子は、今は、IT企業に入社し、世界中を飛び回っている。そして、アメリカの安いゴルフ場でゴルフを楽しんでいるとフェイスブックに発信していた。教え子は、私のレベルをとっくの昔に超えてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

秋空に柿の実

昼時に街中を歩いていたら、一軒の家の小さな庭に柿の木が2本あった。
 
 
 
一本の柿の木には、真っ赤な柿がなっていた。
 
 

 
 
そして、もう一本の柿の木には、オレンジ色の柿が青空に映えて輝いていた。
 

 
 
 
 
 

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