『長崎県佐世保市で7月に起きた高1女子生徒殺害事件で、同県教委は26日、逮捕された同級生の少女(16)(鑑定留置中)に関する学校側の対応などを検証した第2次中間報告を、県議会文教厚生委員会で説明した。
報告書によると、少女は父親を3月に金属バットで殴打した6日後、教職員に「人を殺してみたかったので、父親でなくてもよかった。あなたでもいい」などと打ち明けていた。教職員は4月下旬に校長にこのことを伝えたが、校長は深刻な状況と受け止めず、この教職員による見守りを継続すればいいと判断。県教委にも報告しなかった。
県教委はこの点について、「危機意識がなぜ持てなかったかが一番の課題」「通常であれば、(県教委に)報告すべき事項。報告の仕方を指導したい」と説明。県議からは「組織として対応しなかったことが問題」「(教職員)1人に任せない組織づくりを進めるべきだ」などの批判が出た。
県教委は今後、弁護士や臨床心理士らによる調査委員会の検証を受け、年内に調査結果をまとめる。また、児童相談所にあたる県佐世保こども・女性・障害者支援センターの対応なども含めた最終的な再発防止策は年度内に策定する方針だ。』
『長崎県佐世保市の高1女子生徒殺害事件で県教育委員会は26日、事件前の学校の対応に関する検証状況を県議会文教厚生委員会に報告した。
殺人容疑で逮捕された少女(16)が3月に父親をバットで殴った問題行動について父親が学校関係者に口止めし、学校関係者も1カ月半以上、学校幹部に伝えていなかったと明らかにした。』
ちょっとおかしいと思う。
人を殺して快感を覚える女子高校生。
そのような人格を持った者を事前に察知して、教育できる者が果たしているのだろうか?
父親をバットで殴る女子高生は現実にいるかも知れない。
しかし、父親が有名な弁護士であり、東大を受験できるほどの知的レベルの高い娘が、その父親をバットで殴るような話しは聞いたことがない。
高校の担任教師が女子生徒から『人を殺してみたかったので、父親でなくてもよかった。あなたでもいい』というようなことを打ち明けられたとして、その言葉通りに信じて、必要な教育的なカウンセリング行ったり、精神障害を見抜いて親を指導したり出来るはずはない。
ましてや親の職業を知っている担任教師が、親から脅かされて口止めされれば、それに従うのが普通の教師である。
どうしても学校の責任にしたければ、学校長がその責任を負う必要はあるだろう。
県教委と高校長との権力関係は、県教委は上位機関ではあるが、実際の事務方は、将来教頭や校長として現場に下りていく謂わば下級職である。
高校長は小中学校の校長と違って、かなりの権力と権限がある。
小中学校の校長には、一般職員の人事権は無いが、高校長にはある。
市町村の教育長ぐらいの権限がある。
その校長が、担任教師の話を聞いて、その親である敏腕弁護士と話しをしてみるぐらいの行動を取れないはずはない。知っていて面倒なことから逃げたとも考えられる。上位機関である県教委の下っ端役人に報告するのを下嫌った可能性も考えられる。
結果責任として、高校長を更迭するぐらいの処罰が科されてても仕方がないだろう。
学校の教員は、普通の児童生徒の生活指導や学習指導を専門としている。
犯罪を犯す児童生徒の扱いに対しては、ド素人である。
ましてや、精神障害のある児童生徒に対しては、まったく指導できないのが現状である。
今回の殺人者は、何万人、あるいは何百万人に一人いるかいないかの猟奇殺人事件の加害者である。
こんな者は、普通の人間に手に負えるものではない。
父親である敏腕弁護士でさえ、自分のこどもの教育の責任を病院の医者や学校の教員に転嫁しようと必死である。
亡くなってしまった元妻の東大出の母親でさえ、小学校時代の娘の問題行動に対して、モンスターのごとく学校側に抗議をして、教員の責任に転嫁してしまったことがあった。
『「実はA子は過去にも小動物を解剖するといった“奇行”を繰り返していた。小学生の時には、学校の給食に塩素系洗剤を投入するという“事件”も起こしている。
担任には<バカにされたからやった>と話していたそうですが、A子の母親が<A子は悪くない>と相当抗議したそうです。
そのためか、この事件は全く報道されませんでした」(捜査事情通) 』
私は、猟奇殺人事件や今問題となっている少女惨殺事件のような犯罪を犯す人間は、その素質が生まれた時から備わっていると思っている。
育っていく過程での生活環境や人的環境が引き金になることはあっても、元々の素質が無い者は、同じような犯罪を犯すことはないと思っている。
どんなに識者が知恵を絞っても、そのような犯罪者を事前に見抜いて指導したり、教育することは出来ないと思っている。
それを出来ると思うから、学校の責任にしたり、病院の責任にしたりして、世の弁護士達が金をむしり取る見にくい争いが起こる。