天才少年・大川翔君
『 翔君は5歳の時に両親の仕事の関係でカナダへ。
親がベビーシッター代わりに雇った地元の小学生に英語の本をたくさん読んでもらい、それを繰り返し読むことで徐々に英語を身につけていったという。
その後、9歳のときにカナダで「ギフテッド=天才児」登録され、通常の学校教育とは別にギフテッド・プログラムも公費で受け始めた。英語のスピーチコンテストやライティングコンテスト、数学コンテストなどで多数優勝している。
翔君は中学校の3年間を飛び級し、12歳で高校へ進学。
高校では週に4コマ、数学の先生のアシスタントとして生徒を教えたり(それが1教科分の単位にもなる)、生徒会役員に選挙で選ばれ生徒会活動をしたり、小学生に空手を教えたり、カナダ人に日本語を教えるイベントを企画開催したり、多忙な毎日だ。
「僕の高校は、それぞれの生徒にあったスピードで学習することができるし、自由な校風で、大学に近い感じです。勉強はもちろん、化学や物理の実験、牛や羊の解剖実習、3歳から始めたピアノや、もうすぐ黒帯(初段)の空手(国際明武舘剛柔流)の他に、ボランティア活動にも力を注いでいます。たとえば地元の英語の苦手な子供たちに英語の読み方指導をしたり、シニアの方々にWindows8やiPadの使い方を教えたり、行動障害のある子供たちに空手を教えたり、環境保護活動をしたり……。
勉強ができるだけではこちらでは尊敬されません。高校生であっても、社会に貢献することが求められています」
なんとも立派すぎる14歳だが、将来は何になりたいのだろう?
「以前は素粒子物理学に興味があったんですが、その後、サイモン・フレーザー大学の研究室や、ブリティッシュ・コロンビア大学の教授たちによるMini-Med School(先端の研究所が高校生を受け入れていろいろ教えるところ)で生化学と出会い、とても引きつけられたんです。人間の体の化学反応というのは、僕にとってはとてもおもしろいです。将来はガンや糖尿病やアルツハイマーなど、現在治療が難しい病気の治療法発見に関与できたら、すごくうれしいですね」』
昔、学年で一番頭の悪い男の子を自宅に呼んで、勉強を教えたことがある。
最初の親子面接で、母親にどのくらい勉強が出来ないかを知ってもらうために、九九の問題を出した。
7×8である。
中学3年生の男の子であった。
おそらく出来ないだろうと出した問題である。
彼はしばらく考える振りをした。
母が待ちきれず「どうしたの?わからないの?」と口を挟んだ。
彼は、何も答えず、じっと下を向いて、なにやらぶつぶつ言っている。
さらに、母親が言った。「わからないなら、わからないと言ったらどうなの?」と。
私は、一瞬、もしかしたらこの子は考えているのかも知れないと直感した。
しばらく時間が過ぎた時に、彼は答えた。
「56」と。
どのような計算をしたのか、確かめなかったので、わからない。
ただ、全くのバカではないと感じた。
母親がどうしても高校だけは行かせたいと懇願したので、1週間に一度だけなら私の自宅で、勉強を教えるので、夜に連れてきてほしいと言った。
学年でピカ一番に出来ない子だったので、他からえこひいきだと批判はされないだろうと思った。
その後、その子は私立高校に500人定員中501番で、補欠合格した。
その私立高校に親戚の女の先生が勤めていた。
私がその先生に直接電話をした時に、母親から相談があった時に、そんなに出来が悪いとは思わなかったので、うっかり何とかなると言ってしまったようだ。
私からも「頼りは、あなただけですから、宜しくお願いします。」と頼んだ。
校長先生からは、残念ながら推薦を頂けなかったので、担任推薦で受験させた。
頭のいい子の頭の中はどうなっているのか不思議なように、頭の悪い子の頭の中も、どうなっているのか不思議である。