昔、力のある校長がいた。
あるとき、グランドの真ん中に一人の生徒が立っているの気づいた。
不思議に思った校長は、職員室にいた教務主任に、なぜ立っているのか聞いてくるように命じた。
教務主任は、グランドに走っていって、その生徒に理由を聞いた。
「ボクは、お掃除の時間にさぼっていたので、先生に叱られて、罰として、掃除が終わるまでグランドの真ん中で立っていなさいと言われました。」
見せしめの罰だったようだ。
そのようなことは、昔は良くあることであった。
教務主任もなんの疑問も持たず、そのことを校長先生に報告した。
校長は、教務主任に言った。
「あんた達は、不思議な教育をしているね。」と。
教務主任は、その意味がわからなかった。
校長は続けた。
「お掃除をさぼった生徒の教育とは、普通は、どうしたらお掃除をちゃんとやるようになるのか、指導することではないのか?」と。
「そうです。」と教務主任は答えた。
「ならば、その生徒の担任の指導は、おかしいじゃないか。掃除が終わるまで、掃除をしないでグランドにただ立っているだけでいいことになる。掃除をさぼった生徒に、掃除をやらないで良いと言っているようなものだ。」と。
言われてみれば、その通りだ。
校長は、指導した担任を呼んでくるように、その教務主任に命じた。
しばらくして、担任が校長の前に現れた。
「ばか者。グランドに立つべきは、お前の方だ!」と、校長は怒った。
その校長の名前は、荒木久夫氏である。
昨年にガンで亡くなった。
登場した教務主任も担任もやがて立派な校長になって、退職した。
私が荒木氏と直接話をしたのは、彼を慕っていた教頭が、私の学校に赴任してきた時である。
当時、私は、教務主任だった。
その教頭は、前の学校で、二人の校長にいじめ抜かれて、精神的に参ってしまって、半年ぐらい病休を取ってしまい、校長試験には受かっていたが、ワンチャンスで、私のいる学校に赴任してきたのであった。
5月の中頃だったか、教頭の様子がおかしいことに気づいた。
校長は新米校長であった。
逆転人事であったので、校長はその教頭にずいぶんと気を遣っていた。
私は、教頭の病気が再発したのではと思い、彼が尊敬していた荒木氏に、直接電話をかけた。
「教頭先生が、少しおかしいのです。先生、ぜひ近いうちに、私の学校に遊びに来ていただけませんか?」と。
彼は色々と教頭のいきさつを、私に話してくれ、どんなことがおかしいのかと聞いたので、私は、一つの例を話した。
「突然に、教頭先生が、朝の職員打ち合わせで、本日から生徒の職員室の出入りを禁止すると言ったのです。そして、先生に用事がある時は、職員室の外に先生を呼び出して、外で用を済ますようにしてください。」と言う具合です。と話した。
すると、荒木氏は、その考えは、おかしいとは思わないと言った。
私は、その意味がわからなかったので、教えてほしいとお願いした。
すると以下のように話してくれた。
「職員室では、先生方は、お茶を飲んだり、お菓子を食べたり、時には弁当ではなく、店屋物を頼んで暖かいラーメンなどを食べたりする。
私は、教育者たるもの、生徒の教育は率先垂範するのが理想だと思う。
生徒が学校でお茶を飲んだり、おやつを食べたりすることを禁じている。また、生徒は親の作った冷えた弁当を食べている。
ならば、教師も生徒と同じように、お茶も飲まず、店屋物も食べてはいけないだろう。
しかし、そのようなことの出来る先生は、何人いるだろうか?
私自身もそのように率先垂範できる教師ではない。
そこで、私は、職員室は、先生方の休憩所でもあり、生徒に聞かせたくない話も出来るし、第一、教師の格好の悪い姿を見せないで済む。
そのような考えで、私は職員室の生徒の出入りをさせなかった。
そのことを教頭先生は、理解して実践したのだろう。」と。
それから、1週間が過ぎて、荒木氏は、私の頼み事を聞き入れてくれ、教頭先生に会いに来てくれた。
教頭先生は、喜んで元気が出たように思えた。
しかし、秋に病気が再発し、病休をとってしまった。
そして、次の年に、彼は将来を悲観して、家の鴨居からひもを垂らして首つり自殺をしてしまった。
後に聞いた話だが、荒木氏は、その教頭先生を虐めた二人の校長を、葬式の日にみんながいる前で、厳しく怒ったという。
今日は久しぶりに、退職した校長が、私の金魚ハウスに遊びに来て、ストーブを囲みながら懐かしい話に時が経つのを忘れて話し込んでしまった。