fc2ブログ

プロフィール

のじさん

Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

明日4/1から4/8まで旅行に行きます。

明日4/1から4/8まで、旅行に出かけますので、ブログはおやすみします。
 
旅行のしおり
 
4/1 成田出発 13:55 
19:25   パリ 4/1 シャルル・ド・ゴール空港着 
飛行時間 12時間30分

 
 
カンパニール パリ エスト ポルト ド バニョレ ホテル泊
 

 
4/2
モンサンミッシェル観光
 
パリからバスで359kmの移動し、2時間の観光。
そして、同じ道を戻ってくる。
 

 
 
以下の観光地の画像は帰国後にUPします。
 
4/3 フランス観光
 
☆ルーブル美術館 2時間観光
☆凱旋門
☆コンコルド広場
☆エッフェル塔
☆シャイヨー宮
☆ベルサイユ宮殿 1時間30分観光
☆セーヌ河クルーズ 1時間
パリのホテル泊
 
 
4/4 パリからジュネーブに移動
 
TGV(2等車)急行でジュネーブまで3時間の移動
 
ジュネーブからベルン 160kmのバス移動
 
☆ベルン旧市街観光 1時間
☆大聖堂
☆時計塔
☆熊公園
☆バラ公園
 
62kmバス移動
グリンデルワルト着 ホテル泊
 
4/5 世界遺産ユングフラウ観光
列車での移動
☆スフィンクス展望台
 
グリンデルワルトからザンクトガレンへ
バス移動229km
 
ザンクトガレン修道院内大聖堂観光 30分
ザンクトガレン市内散策
バス移動 120km
 
ケンプテン着 ホテル泊
 
4/6 ケンプテンからホーエンシュバンガウへバス移動
52km
 
ホーエンシュバンガウへ
 
☆ノイシュバンシュタイン城見学 1時間
☆マリエン橋
 
バス移動 223km
☆世界遺産ヴィースの巡礼協会 30分
☆ロマンチック街道
 
ディンケルスビュール
バス移動53km
 
ローテンブルク着 ホテル泊
 
4/7 ローテンブルク市内観光 1時間30分
☆マルクト広場
☆市庁舎
☆聖ヤコブ協会
☆ブレーンライン
移動距離 169km
 
ハイデンベルク市内観光 1時間30分
☆ハイデンベルク城
☆マルクト広場
☆旧市街
☆カール・テオドール橋
 
移動距離 88km
 
フランクフルト空港 
20時45分発 帰国の途へ
 
飛行時間11時間10分
 
4/8 東京 羽田空港着
 
14時55分
 
 
 
スポンサーサイト



気温があがり、春らしい陽気となった

玄関のレンギョウの花が満開となった
 

 
 

 
玄関ドア前の君子蘭もこの時期の定位置である。
オレンジの花は咲き始めたが、黄色はまだつぼみである。
 

 
 
ひな壇は西洋桜草に置き換わった。
 

 
 
メインのひな壇のミニ水仙が満開となった。
 

 
メインのひな壇の全景
 

 
 
フラワーロードの芝桜も咲き始めた。
 

 
 

日本三名園のひとつ水戸の偕楽園

大学時代の友人達と水戸の偕楽園に行ってきた。
1泊2日の旅である。
 
旅行目的は、友だちの一人が「再雇用で、教員になるお祝い」と言うことだった。
 
取手市で一人を乗せ、水戸駅でもう一人を乗せて、一行は千波湖 - Wikipediaに向かった。
 
 

 
 
千波湖の無料駐車場に車を止めて、千波湖から偕楽園 - Wikipediaへ向かう。
 

 
後ろ姿の画像には、特に意図はない。
 
たまたま運転手の私を忘れて、すたすたと歩いて行ってしまっただけである。
 
 

 
 
千波湖には、たくさんの鳥がいる。
ちゃんと餌付けされているようである。
 

 
 
この辺で、せっかく集まったメンバーの記念撮影となった。
 

 
 
私のカメラの腕は、どんな女性でも20才は若返させることが出来る。
 
しかし、今回は、せっかく買った一眼レフが使えなかった。
カメラは持参したが、記憶媒体は、パソコンに刺さったままであることを思い出してしまった。
 
申し訳なかったが安物のデジカメを使ったので、実年齢の画像となってしまった。
 
 
運良く、この時期だけ偕楽園駅に止まる「特急スーパーひたち」を撮影することが出来た。
 
 

 
 
偕楽園は、学生時代に酒を持参して花見をしたのが最後だった。
あれから40年近くの時が流れた。
 
梅の木の高さと太さが40年の時の流れを感じさせてくれた。
 

 
 
 
偕楽園 好文亭をバックに記念撮影。
 
このアングルは、カメラマンとしては、自己満足している。
空の青さと雲の形、ウメが咲き誇り、バックの好文亭には歴史が感じられ、モデルの前の大きなツツジは、決して被写体を邪魔してはいない。むしろ、引き立たせている。さらには微妙にピントがずれているのがいい。
 
 
 

 
 
 
 
偕楽園から千波湖を見下ろした風景も雄大である。
 

 
せっかくの梅まつり、水戸の梅むすめ達にお願いして、一緒に記念撮影をして貰った。 
 
できれば、わたくしめは両サイドのお嬢様と3人で撮ってほしかった。
 
 

 
次に一行が向かったのは、手打ちそば  - 笠間 である。
 

 
 

 
美味しい手打ちソバを頂いた所で、次の観光地は、笠間焼き。
 
 
 
何度も集団からはぐれてしまう友は、陶芸を鑑賞する姿が、絵になっている。
 

 
 
格調高い「回廊」に行きたいと言った友は、どういう分けか小さな「切り絵の鯉のぼり」を買っていた。年をとると童心にもどると言われているが、大丈夫なのか。
 

 
 
 

]
 
 
次に向かったのは、笠間工芸の丘
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
なにか、安物はないかしらんと、探してみたが、さすがに国宝級のものは、桁が違う。バーゲン好きの妻には、時間だけが過ぎていく。
 

 
 
 
そして、泊まりは、いこいの村涸沼である。
 
シジミで有名な涸沼がある。
のほとりに美人湯のある温泉宿「いこいの村涸沼」に泊まった。
 

 
女性陣は、旅館に着いた後、グランドゴルフで汗をかいたようである。
運転手のわたくしは、部屋で1時間ほどくつろいでいた。
 
夜には、40年ぶりに「はるみちゃん」との再会が実現した。
 
そして、妻を含めた3人と「はるみちゃん」との奇妙な会話の食い違いの原因が判明した。
 
「はるみちゃん」はAB型で、他三人はO型とAO型だ。
4人の女性陣は、みな個性が豊かで、しっかりと自己主張し、他人に合わせることをしない。AB型とO型は、正反対の感覚を持っているようだ。
 
「はるみちゃん」も私のことを「○○君」と呼び、決して「○○さん」とは呼んでくれない。何年経っても同級生の立場は変わらないものだ。
 
「はるみちゃん」は、学生の時に、人生で唯一私のことを「長嶋茂雄」に似ていると言ってくれた。
他の二人は視力が2.0とマサイ族のような視力だが、はるみちゃんは、昔からド近眼だった。
 
 
 

 
 
学生時代の友だちは、何年経っても変わらない。
それぞれに個性に磨きをかけて、もう誰にも止めることは出来ない。
 
 
楽しいひとときは、あっという間に過ぎて、別れの朝がやってきた。
 

 
 

みみ元気 箱入り娘

みみは、外に出る時は、リード線につながれている。
いつも部屋の中で生活しているので、外に出たくてしょうがない。
ご主人が外から帰ってくる時は、その足音をを聞きつけて、玄関で待っている。
 
 
なぜ外に自由に出さなくなったのか?
それには、かなしい過去の出来事がある。
今から30年近く前に、私の帰りが遅いので、ネコでも飼ったらどうかと、2匹のネコを貰ってきた。
妻は、生まれてこの方、ネコも犬も飼ったことがなかった。
 
 

 
 
「どうしたの?このねこ?」
 
「同僚から貰ってきた。」
 
「誰が面倒見るの?私知らないよ。」
 
「いいよ。ほっとけば。俺が見るから」
 
 

 
 
私は、妻の面倒見が良いことは、誰よりも知っている。
餌も買ってあるし、トイレも用意した。
 
後は、餌をあげて、トイレを教えるだけだ。
簡単だ。
 


 
連れてきたネコは、生まれてすぐで、小さく、「ミャーミャー」と餌をねだった。
 
私は次の日に、餌をほんの少ししかやらずに、出勤してしまった。
 
帰宅するのは夜の11時頃である。
 
子ネコが我慢できるわけがない。
 
案の定。
 
妻が餌をやっていた。
 

 
 
「あれ、ネコに餌をやってくれたんだ。」
 
「そうだよ。だってミャーミャー泣くんだもの」
 
 
一匹はシャム猫の雄、名前は「ミヤ」、そしてもう一匹は、ヒマラヤンの雌、名前は「みみ」。そして、みみの名前は初代目で、現在は3代目みみである。
 
 
初代のヒマラヤンのみみは21年間生きた。
 
 

 
 
しかし、シャム猫のミヤは、半年が経った時に、家の前の道路で車にひかれて死んだ。
次の朝、動物病院に連れて行ったが、安楽死をすすめられた。
妻は学校に行ったが「校長先生に、ミヤが死んじゃった」と泣いて、早引けしてきた。
 
夜に後輩が遊びに来た時に、玄関からすり抜けて、外に出てしまった。
そして、ご飯を食べに家に戻った時に、家の前で、車にひかれてしまった。
その時の様子は、可哀想なので、書けない。
 
 
 

 
 
それ以来、我が家では、外に出る時はリード線につながれている。
そのため、みみの縄張りは、外には無い。
 
家の中だけが、みみの縄張りである。
 
 
我が家でのネコは、基本的に「ねこっ可愛がり」状態である。
 
ネコとは元来わがままであるが、我が家のネコは、とびきりわがままである。
 
我が家でのネコ社会の位置づけは、妻は奴隷で、私はボスだ。
 
ボスの私には、馴れない。
 
みみは奴隷の妻といつも一緒で、わがままし放題である。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大人の遊び場 秘密基地の金魚ハウス

大雪で潰れたビニールハウスが綺麗に修繕された。
 
今度は、ビニールハウスではなく、垂木を使って、波板で屋根を作った。
 
 

 
 
かなりの広さとなった。
 
今年は、らんちゅうよりも「めだか」の繁殖に主に使われることになる。
 
それにしても、私の相棒は、手先が器用である。
2月に65才になり、3月からは毎日が日曜日となった。
それで、屋根の制作に取りかかったが、2週間で完成させてしまった。
 

 
注目するところは、横の板にパイプの収まる穴をドリルで開けて、すっぽりと横板が収まるようにしたところだ。
 
このことによって、ハウスの強度は高まること間違いない。
 
 
 
 
次に、ハウス中央の柱を利用して、物置の棚を設置した所だ。
餌はもちろん、魚すくい網やボールなどの置き場所の確保だ。
 
 

 
 
 
 
ハウスの奥の高い所から撮影した画像だ。
中央の物置棚には、水槽も置くことが出来るスペースがある。
 
 

 
 
 
左下の四角いものは、浄化槽のポンプである。
これで、各プラ舟にエアーを送り込んでいる。
こちらは、ネットオークションで安く競り落としたものである。
ビニールパイプでエアーを送り、各舟ごとにエアレーションをしてある。
 
 
 

 
 
 
真夏などは、遮光するために、舟の上に直菅パイプで囲い、エアー用のビニールパイプと共に、囲いを作ってある。
 
 
 

 
 
ブリーダーの商売でも出来そうなくらいの設備である。
相棒がその気になれば、いつでもネット販売する用意はある。
以前、らんちゅうとシュンランをネット販売とオークションで売りさばいたことがある。
利益がでないことと、めんどくさくなってやめてしまった。
 
その時にクロネコヤマトと業者契約をしてあるので、送料が業者特約となっている。一般契約より1割ぐらい安くなっているようだ。
 
 
 
 
 
ハウス入り口に事務机もあるので、金魚やさんも開業できるかも知れない。
 
しかも、このハウスは、第二ハウスなので、母屋の第一金魚ハウスがある。
 
老後に退屈しないように、若い時からこつこつと趣味を育ててきた。
 
そして、老後にはお金を使うのではなく、稼ぐことが出来るようにしたいものだ。
 
 

 
 
そして、こちらの正面が、母屋の金魚第一ハウスである。
 
50坪の家庭菜園用の土地にフェンスを回して、全部を屋根で覆ってしまった。
雨の日にも20人ぐらいの人が集まって、らんちゅう談義が出来るようにした。
 
実際には、らんちゅう同好会を作って、研究会や品評会を開催した。
 
現在は、10名ぐらいのらんちゅうのブリーダーが年に5回ぐらい集まって、金魚談義をしている。
 
 
 
 

 
 
ハウスの内部である。
 

 
 
冬場は、薪ストーブを焚いて暖をとり、暇つぶしをする。
薪ストーブのぬくもりは、気分転換にはとても良いものである。
 
 
 

みみは、トイレの水が気になる

みみはトイレの外でご主人が出てくるのを待っている。
そして、ドアを開けたとたん、勢いよくトイレに駆け込む。
 
それは、なぜ?
 

 
 
トイレの手洗いの水が気になるようだ。

 
 
なんだろう?
この不思議なものは?
 

 
しっぽが丸まっているのは、警戒している証拠である。
 
 
 

 
塾の廊下の隅にじっと隠れて、何をまっているのだろうか?
ご主人の掃除が終わるのを待っているのだ。
 
待ちきれず、おもちゃを探して、一人遊びをはじめる。
 

 
 
 
 
 
オレンジ色の物体を発見した。
花ナスの実である。
 

さっそく、花ナスの実をボールに見立てて、一人サッカーの開始である。
 
 
 
 
塾の掃除が終わると、花壇の手入れの時間である。
みみは、外に出る時は、安全のためリード線につながれている。
 

 
 
外はまぶしいのか、すこしご機嫌斜めなようだ。
 

 
 
 
どうやら、狭いところを見つけたようだ。
みみは、狭いところや暗いところが大好きだ。
 
夏になると、小さな昆虫や虫がたくさんいることを覚えている。
でも、今はまだ早春。
虫はいないよ。
 

 
 
 
 
二階のサンルームのサボテンの花が咲いた。
 
暖かい春の季節がやってくる。
 

3月の花壇 今年も動き出した

妻の趣味の花壇作りが始まった。
 
3月の花が咲き始めた。
 

 
 

 
 

 
 

 
 
そして、自宅となりの私道は近所の家作の住民の花壇である。
 
「フラワーロード」と呼んでいる。花好きの妻の影響を受けたのか、野菜を作ったり、プランターに花を植えたりして、楽しむ住民が増えた。
 
ニュージーランドに行った時に、田舎町のどこの家の回りにも花がいっぱいだった。
 
 
 

 
 
 
 
ブロック塀からアスファルトに土を盛り、芝桜を植えた。
夏に照り返しがきついので、暑さ対策でもある。
 

 
 
 
西洋桜草の花が満開である。これは自然にプランターに種がこぼれ、芽が出た苗を植え替えて育てる。
 
もう何年も同じ方法で花を咲かせている。
 
この花が咲き始めると、いよいよ春の到来である。妻の季節がやって来た。
 

 
 

家庭菜園 友だちとのルール

家庭菜園は、後輩の友だちと一緒に楽しんでいる。
 
タマネギが順調に育っている。
 

 
右から4列目が、友だちの分のタマネギである。
なにか気がつくだろうか?
 

 
 
そう。草の量である。
の間に、じわじわと雑草が根を張っていく。
そして、春になると一気に伸びる。
 
私の分は、2週間前に、綺麗に雑草を取った。
もちろん、友だちの列は、そのままちゃんと残してある。
 
れが私たちのルールである。
 
追肥は、友だちの分まで、きちんと公平にやった。
しかし、雑草が栄養分を頂いたことだろう。
 
同じ列に作ったのにも、意味がある。
場所が違えば、生育も違うことがある。
しかし、同じ場所に作れば、同じように面倒を見れば、同じように育つはずだ。
 
野菜作りの楽しみは、自分でどれだけ面倒を見たかによって、おいしさが違うことだ。
苦労して、野菜を作って、そして食べる。
それが楽しくもあり、一番の贅沢である。
 
今日は、ジャガイモを植える準備をした。
毎年3列作るが、今年は、作付けを間違ってほうれん草を蒔いてしまったので、列が狂ってしまった。
 

 
 
 
 

大阪市の公募校長を更迭へ

 
『市教委によると、北角校長は平成25年4月の着任以降、教職員や保護者らから「独断的な学校運営」などと批判され、PTAが更迭を求めていた。7月には教頭が北角校長と口論の末に土下座して謝罪するトラブルがあり、教頭はその後、休職した。』
 

橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)肝いりの公募制度で、中学校長に就任した北角裕樹氏。
 
日経新聞の記者時代は企業不祥事の取材が長く、危機管理広報の研究で経営学修士も取得。「問題解決力」を育む学校を目指していた。
 
2013年4月、民間人校長として大阪市立巽中学校長に就任。37歳の校長は現役最年少。
 
 
 
「大阪の民間人校長の毎日を報告します」と題されたブログは、5回目で終わっている。
 
「有言不実行」な校長だったようだ。
 
 
 
『商社勤務を経て2012年末まで12年間は日本経済新聞の記者をつとめた同氏は、企業不祥事の取材が長く、危機管理広報の研究で経営学修士なんだそうな。

で、北角校長は昨年7月に校長は教頭と口論になって教頭に土下座謝罪させ、教頭はその後病気休暇。』

退職した前任の女性校長が2学期途中からボランティアで学校業務を手助けする有様で、PTAや教員から辞職を求める声が・・・。』
 
 
 
『中学校長の1人は、校長の指示をめぐって教頭と口論になり、校長が「間違っていたなら謝るべきだ」と要求し、教頭が土下座しました。』
 
『日本共産党の寺戸月美市議は「教育者として適格性を欠き、地方公務員法では分限免職を行える」と指摘。「懲戒免職ができないなら自ら出処進退を判断すべきだ」とのべ、公募方式を改めるよう迫りました。』
 
 
 
 
子供を教育することは、とても難しい。
大人を教育することのほうが易しいかも知れない。
 
中学生という年代は、第二次成長期のまっただ中にあって、精神的にも不安定な時期でもある。
13歳から15歳までの子供を預かり、たった3年間の時間で、それまでの長い間の考え方や生活習慣が身についてしまっているその子供を若輩者の教師がたった一年で、あるべき理想の姿に教え育てることが出来るか?
 
「NO」である。
 
北角氏の数少ないブログ記事の中に、以下のような文面がある。
 
『今回の決定はただ単に、市長や市教委が求めたからではないと思います。これは大阪の教育界が、社会から「自己改革ができない」という結論を突き付けられたことにほかなりません。自分で変われないなら、外部の人材に変えてもらうしかない、と 。』
 
「校長公募制度」の根拠について述べたものだ。
 
大阪の教育界が自己改革できない集団で、自分たちで変われないから、外部の教育ド素人民間人の北角氏が選ばれ赴任したと言うことを言っているのだ。
 
そんなことは、誰が言っているのか?
 
日本中の教育界に、問題はあるだろう。
大阪に限ったことではない。
だからといって、民間人を校長にすれば、自己改革できる組織に作り替えることが出来ると考えることが、そもそも、図のぼせた考えだ。
 
一体お前は、何様だ。
 
大昔から、子供の教育には、長い時間をかけて、様々な取り組みが続けられてきた。
現在ある制度は、先人の知恵の結晶だ。
 
北朝鮮のように、政治と教育が一方向にあるのなら、簡単だ。
日本の戦前の教育も同じだ。
一つの価値観で、洗脳教育すればいい。
 
しかし、現代は、教育に対する考え方や価値観は、千差万別である。
10人の子供がいれば、その倍の20人の親がいる。
そして、その30人の考えは皆違う。
 
教師と子供と親が、信頼し合ってはじめて、教育が成り立つ。
 
そして、校長がこどもたちを教育をするのではない。
 
教師がこどもたちを教育をするのである。
 
 
北角氏の数少ないブログ記事の中に、以下のような文面がある。
 
『僕は毎日、プロの教員のすごさを味わっているところです。生徒を見る目の深さ、生徒同士のトラブル発生時の対応、授業での生徒に興味を持たせる話術、いずれも職人芸です。』
 
赴任して1ヶ月ちょっとの5月25日のブログ記事だ。
 
ばかやろう。
お前の目は腐っている。
大人の教師の人間性の何が分かるのか。
 
40年も付き合っている女房のことさえ、よく分からないのに、他人のことを、たった一ヶ月そこらで、偉そうに評価するな!ばかやろう。
 
 
教頭と口論して、口先だけで論破して、土下座させ、あげくに休職に追い込んだことは、パワーハラスメントだろう。
 
教頭職の立場の弱さをどれだけ理解しているのか?
 
この大馬鹿やろうめ!
 
『2013年6月に保護者&教育関係者向けサイト「リセマム」の取材を受けた北角校長は「とにかく、教頭先生、すごいんですよ。事務処理も早いですし、生徒のことをよく見ています。そして、これは教頭先生に限らず、先生方みんな、生徒の行動を先読みする力があり僕は叶わない。」と述べていたのに、すぐ後の7月にトラブルを起こすなんてね・・・。』
 
37歳の校長が、上から目線で、年上の経験豊富な教頭を軽々しく褒めるな!
 
反吐が出るわ。
 
お前のような校長が、職員のやる気を損ね、組織を壊し、親に不信感を抱かせ、学校をガタガタにしていく。
 
教師がやる気を失った時に、一番の被害者は、こども達だ。
 
昔の親は偉かった。
 
「うちの子供は、先生のことが大好きです。親の言うことは聞かないのに、先生の言ったことは、良く聞くんです。これからも宜しくお願いします。」
 
と言って、新米教師を褒めておだてて、教育者に育てていった。
 
「ウソも方便だ」
 
 
今の親はくそったれが多いので、本当のことを言ってしまう。
 
親が悪口を言った3倍ぐらいが、我が子にそっくり返ってくると、思え。
 
大学を出てすぐに「先生」と呼ばれるのが、学校の教師だ。
 
若い教師にりっぱな教師がいるはずがない。
 
立派な教師に育てるのは、こども達とその親たちだ。
 
校長が教師を育てることなんてできるか!ばかやろう。
 
校長が立派な校長になるのは、バカな教員と何年も喧嘩して、そして、面倒を見て、はじめて立派な校長になれる。
 
 
37才で成れるのは、文科省の役人だ。
もう少し勉強して、公務員試験をパスして出直せ!
お前よりも100倍も頭の良いのがごろごろいる。
 
まじめな熱血漢の教頭を病気にさせてどうするのだ。
アホやろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

妻の塾経営

教員を早期退職して、塾を始めてから9年目となる。
 
良く続いているものだ。
 
子供のいない私たちにとって、塾に通ってくるこども達は、孫のような存在である。
 
隣に住む金魚仲間の相棒は、休日に孫と遊ぶのが楽しそうである。
 
その姿を見ていると、私たちも他人の子供であるが、孫のように可愛がってあげたいと思う。
 
 
塾の教室は、自宅の左隣の家作である。
広さは4畳半の書斎と9畳の教室だ。
 

 
玄関の下駄箱である。
 
3月から新学期が始まるが、今年は8名の新1年生が入塾した。
 
 

 
玄関から奥の教室までの廊下である。
結構広いので、他の住民はキッチンとして使っているのだろう。
 

 
教室風景である。
元々は6畳の広さであったが、大家さんが改造して良いとのことだったので、3畳ほど増築した。
 

 
 

 
 
12名までは、机を並べることは出来るが、最大で9名までとしている。
理由は、個人の個性や習熟度に合わせて、学習指導するには、その人数が限界だと思うからである。
 
学校は、上限が40人学級だから、一人の教員で普通に30名以上のこども達を教えている。子供一人一人の内面を理解し、個に応じた学習指導を求めることが、そもそも無理な話だ。
 
妻は、4,5人で十分だと言うが、それでは、家賃が払えない。
もっとも楽しみでやっている私塾なので、儲ける必要はない。
 
どのような子供でも原則受け入れるが、一つだけ条件がある。
塾長である妻の言うことを聞けない子供は、退塾をすすめる。
 
今までには、親子面接まで行った子供が3人いたが、首の皮一枚で退塾は免れ、3年間頑張り通した。
しかしながら、その子達のために3人の塾生が辞めていった。
 
どんないたずらっ子でも、塾長の言うことさえ聞ければ、大切に面倒を見る。
しかし、どんな良い子でも、いたずらっ子を嫌って退塾する子の自由は守られている。
 
すなわち、来るもの拒まず、去る者追わずの精神である。
 
いたずらっ子を切り捨てたら、私たちの塾の存在理由がない。
 

 
 
 

| ホーム |


 ホーム  » 次のページ