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のじさん

Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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「おかげさん」あいだみつを

8月31日(土曜日)
 
「おかげさん」あいだみつを
 

 
まける人の おかげで 勝てるんだ よなあ
        みつを
 
  『おかげさん』
 
 
 社員のおかげで社長になれるんです。
 
 後輩のおかげで先輩になれるんです。
 
 生徒のおかげで先生になれるんです。
 
 どんな試験でも、落ちてくれる人のおかげで受かるんです。
 
 脇役のおかげで主役が光るんです。
 
 
買い手があるから売れるんです。
 
売り手があるから買えるんです。
 
  『私の、このヘタな文字、つたない文章も、見て くれる人のおかげで書かせていただけるんです。  〈おかげさん〉でないものは、この世に一ッも ありません。みんな〈おかげさん〉で成り立って いるんです。』
 
 
 
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「 うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ」あいだみつを

8月30日(金曜日)
 
 うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ」あいだみつを
 

金魚を育てるときに、「密飼い」という方法がある。
池の中に普通よりも少し多めの数の金魚を入れて、飼う方法である。
餌を与えると、ものすごい勢いで餌を奪い合いながら食べるのである。
 
そうすると運動量が多く、食べられる量が少ないので、すぐに腹が減って、餌をどんどん食べるので、早く大きくすることができるわけである。
 
奪い合えば足らないので、運動量が多くなるし、腹が空くのでたくさん食べ、金魚は早く育つ。
 
しかし、弱い金魚は、まったく餌が食べられない。
自然淘汰され、強い者が生き残る。まさに弱肉強食の世界。
 
分け合えるほどの金魚の数では、いつでも食べられるので、運動量も少なく、食べる量も少ない。
 
すなわち、育ちが悪くなる。
 
 
 
子供の頃、我が家は7人家族だった。
食事のルールが自然とできた。
おかずは、共有の皿から先に食べること。
自分用に分けられた皿のおかずは、奪われることは無い。
しかし、共有の皿に盛られたおかずは、ぐずぐずしていると食べる前に無くなってしまう。だから、最初に共有の皿のおかずを食べる。
 
 
結婚して、二人家族になったときに、共有の皿にイチゴがのっていた。
妻がイチゴをいつまでも食べないので、私がぱくぱくと全部食べてしまったら妻は怒った。
 
「どうして全部食べてしまうの!私は、最後に食べようと思っていたんだよ。」
 
私の育った家庭では、好きな物、美味しいものから先に食べるのが自然のルールであった。唯一、自分の皿の物は、奪われることはない。
 
共有の皿に盛ったおかずを食べないのは、嫌いなものであると言う意思表示だった。
 
「全部食べれば憎しみ わけ合えば安らぎ」を学んだ瞬間だった。
 

「いちずに一本道 いちずに一ッ事」あいだみつを

8月29日(木曜日)
「いちずに一本道 いちずに一ッ事」あいだみつを
 

始めたときは、いつでもこの道でずっと生きていこうと思う。
ずっと一つのことをやり続けて、極めていこうと思う。
 
しかし、どういうわけか長続きしない。
 
45歳の時に書道を始めた。
9年の月日が流れ、準師範となった。
あと一段階あがると師範である。
先生に連れられて、主幹先生に会いに行った。
「渓龍さんですね。作品をいつも見てますよ。たくさん稽古して、師範になってくださいね。」と言って、100人ぐらいの師範の方の作品を見せてくれた。
「この方は、この前師範に合格した3人の一人です。まだ、書は甘いですが、これから稽古を積んでいけば、何れは自分の書がかけるようになるでしょう。」と。
私は、その言葉を聞いて、挫折した。
あと一段上れば、終わりだ思ったら、そこからが始まりだったことを知った。
 
そりゃそうだ。
芸術書には、終わりはない。
一生稽古の世界だ。
 
9年かけて、初歩の段階が終わったことを知った。
そして、それから一枚も書が書けなくなって、3年後にやめた。
 
 
 
師匠の渓草先生の作品

 
 

 

「セトモノとセトモノとぶつかりっこするとすぐこわれちゃう どっちかやわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」あいだみつを

8月28日(水曜日)
「セトモノとセトモノとぶつかりっこするとすぐこわれちゃう どっちかやわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」あいだみつを
 

昔、現役教員だった頃。
 
こどもたちに、「けんかは両方が正しいと思っているからけんかになるんだよ。だから、けんかは、ばんばんやりなさい。」と逆説的に言ったことがある。
 
その言葉を真に受けて、本当にけんかした者がいた。
もちろん懲らしめてやったが。
 
「おまえが悪い!」
「いや、俺は正しい。おまえが間違っている!」
 どちらも自分が正しいと言い張って、けんかになる。
 
 
どちらか一方が間違いを認めれば、けんかにならない。
「おまえが悪い!」
「そうだ。俺が悪い。おまえは正しい。」
これではけんかにならない。
 
 
 
時々見通しのいい丁字路なんかで、車と車が衝突している場面を見かける。
 
「どうして、あんなに見通しのいいところで、事故を起こすのだろう。」
「両方とも突っ張ったからだよ。どちらかが譲れば、ぶつからなかっただろう。」
 
年取ってきたせいか、私たち夫婦もめっきりけんかが減った。
やわらかい心を持ち合わせているのではない。
どちらの意見が正しいのかではなく、どちらのわがままが強いかで勝敗が決まるようになっているからだ。
ほとんどが妻の勝ちだ。
勝負は何年も前についている。
 
 

批判はしたけれど自分にできるだろうか」あいだみつを

8月27日(火曜日)
批判はしたけれど自分にできるだろうか」あいだみつを
 

にんげんは、自分を棚に上げて、他人を批判したくなるようだ。
なぜなら、一番かわいいのが自分で、その次が自分の連れ合いだ。3番目が自分を産んでくれた親ではなく、自分の子供だ。4番目が親であるという親不孝なのがにんげんの本性だ。5番目が親族で、6番目が他人だ。
 
だから、他人をほめると言うことは、本心ではできないのが人間だ。
 
他人をほめている人間を見ると、その裏を読んでしまう。
 
批判ばかり書いているブログを見ると安心する。
そこのブロガーは、人間の本性丸出しで、正直者だと思う。
 
自分でできることなんか、ちっちゃな事である。
日本の政治を変えることなんかできやしない。
一票を入れたからと言って、その候補者が当選するとは限らない。
だから、いい加減な事をやっている政治家の批判だけでもしてあげようと思う。
 
大学時代、友達と既成のセクトでなく「綱常会」なるものを作ろうとしたことがある。「三綱五常にして人の道なり」なんていう儒教の言葉を引っ張り出してきて、「革マル派」や「中核派」と戦おうとした。友達が勝共連合だったことを後で知った。共産主義を排除するために、共産主義の勉強しているうちに、「共産主義はいいものなんだ」言うことになってしまった。馬鹿の集団だった。
応援団長の先輩は、現役の中学校の教員だったが、民主青年同盟に乗っ取られた学生会館の屋上に、腰に日本刀を携えて、毎朝来て、日の丸を掲げた。もちろん大きな声で君が代を歌っていた。尊皇攘夷発祥の土地「水戸っぽ」には右翼がごろごろしていた。
 
にんげんいろいろだ。
 
批判ばかりしていた民主党が、いざ政権与党となると、何もできなかった。
 
かれらは、自分たちができないこともわからないで批判だけをしていた愚か者集団だった。
 
私はかれらよりは、まだましだ。
間違いなく、自分には何もできないことを知っているからだ。
「無知の知」というやつだ。
 
 

「受身 柔道の基本は受身 受身とはころぶ練習 負ける練習 人の前で恥をさらす練習」あいだみつを

8月26日(月曜日)
 
「受身 柔道の基本は受身 受身とはころぶ練習 負ける練習 人の前で恥をさらす練習」あいだみつを
 

受身はたしかに柔道の基本の一つだ。
そして、けがをしないように上手に転ぶ練習だ。
また、負けを認めて安全に身を守る練習だ。
相手を投げるのでなく、投げられて負けるのだから恥をさらすことでもある。
 
そして、最初に学ぶのはこの受身の練習である。
 
高校生の時に体育の授業で柔道を選択し、受身もろくろく覚えない段階で、乱取りを行った。
見るからに小柄で、力でねじ伏せられるような相手と組んだ。
しかし、彼は柔道部であった。
彼が押したので、こらえたら小内刈りをかけられ、そのまま後ろに彼にしがみついたまま倒れて、頭を強打したことがある。
 
「ちゃんと受身をとらないと危ないよ。」とそのひ弱そうな相手が、私に言った。
 
相手を見くびって、力でねじ伏せてやろうとした自分にも反省したが、何よりも負けているのに、負けを認めたくないので、倒されまいと彼にしがみついていた自分が情けなかった。
 
人生の中では、勝つことよりも負けることの方が圧倒的に多い。
負けたって、どうって事はない。
すぐに起き上がればいい。
そのためには、素直に負けを認め、上手に負けることだ。
頭を打って、脳しんとうを起こして、立ち上がれないような負け方ではいけない。
 
徳川家康の言葉にも「勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身にいたる。」というのがある。
 
勝ってばかりいる人間は、とかくおごりが出て、人のねたみや恨みを買うことになり、身を滅ぼすことがある。
 
人前で恥ずかしい事を売りにして、月収1000万円を稼いでいる芸人がいる。
大久保佳代子だ。
 
人前で恥をかくのは、サラリーマンの年収以上の稼ぎを1ヶ月で達成できると言うことだ。
 

“元祖ブラック企業”稲盛和夫の京セラ~1週間家に帰れない、奴隷システム

 
『稲盛式経営のポイントは、フィロソフィ(企業哲学)とアメーバ経営。
 
一言でいえば、それはまるで軍隊であった。
 
京セラの内部告発本『京セラ 悪の経営術』(瀧本忠夫/イーストプレス/1999年)に、その実態が明らかにされている。
 
 「京セラは、おそらく日本の企業の中で、従業員が定年前に退職していく率のかなり高い会社であると私は思う。(略)過去には40人入った社員が翌月には全員辞めてしまったことがある」(同書)
 
稲盛の人生論『生き方』もワンマン経営者ならではの、危うい文言が目立つ。
 
 「欲、すなわち私心を抑えることは、利他の心に近づくことです。この自分よりも他者の利を優先するという心は、人間の持つすべての徳の上で特上、最善のものである」(同書154ページ)
 
強い「思い」と「利他の心」があれば、「仕事」を通じて人生の喜びが得られる……これは会社に自分を捧げる社畜になれば幸せになれる、というブラック企業の論理そのものだ。しかも、「生き方」というタイトルにもかかわらず、その内容は仕事のことばかり。人生哲学を語っているようで、その実、企業哲学を語り、企業の論理を読者に押し付ける一方なのだ。
 
稲盛が厄介なのは、臨済宗妙心寺派円福寺にて在家得度をしており、仏法の教えに基づいているように見えることだ。ブラック企業の論理も東洋思想という袈裟でくるまれれば、ありがたく見えてしまう。』
 
 
 
 
 
 
 
仏教と言えば、現在では「葬式仏教」として成り立っている。
その昔は、葬式は部落で行い、お坊さんが来て供養をするというようなことはなかったようだ。
 
お坊さんの役目は、仏教の教えに基づいて、人生の生き方を説いた。
もちろん、武士といえども宮仕えのサラリーマンと同様である。
どのように上司に仕え、家庭生活をよりよく生きるための方法を教えてくれたのが、その昔のお坊さんの役目であった。
そのために、お坊さんは信者からのお布施で生活ができたわけである。
 
 
私の好きな言葉は「利他の精神」である。
人間の本性は、利己であり、自己中心的であると思う。
「利他」とは、「利益を他人に与える」という意味だ。
そして「利己」は、「利益を自分にいただく」という意味である。
 
人間の成長は、利己から利他へと考え方が変わっていくところにあると思う。
 
だから、少しずつ他人のことも考えられるように成長していきたいと思う。
 
しかし、その哲学が、自分に向くのではなく、他人に強要するようでは、間違っていると思う。
 
しかも、経営者のトップが、企業経営の武器として「仏法哲学」を利用することは、危険である。
 
瀧本忠夫氏のように、稲盛氏が悪人であるようには思っていないが、カリスマ経営者として神のような存在になっていくことは、否定できない。
 
もっとも警戒しなければならないのは、ポスト稲盛をねらう者達が間違いを起こす可能性を否定できない。
 
私の実家は曹洞宗である。臨済宗も含めて、禅宗と言われている。
禅宗は座禅を組んで瞑想し、宇宙の森羅万象から悟りを開く宗教である。
仏像を拝んだり、曼荼羅を拝んだりしないで、自ら悟りを開くのであるから、非常に難しい宗派である。
禅宗の開祖の達磨大師は、悟りを開くのに足がすり切れて無くなるまで座禅を組んで修行をしたという伝説がある。
 
禅宗で悟りを開くには、釈迦の教えを聞いて悟りを開くのではなく、自分の頭で考えて悟りを開くので、相当に頭が良くないと成仏できない。
 
と言うことで、稲盛哲学は、相当に難しいと思う。
仏教の教えを経営哲学の根幹におき、それを利用して、毎朝朝礼等で、洗脳を受ければ、盲信する社員も出てくるだろう。
 
私の後輩に、京セラで研修センターに配属になった男がいる。
彼の仕事は、新人から中堅、はたまた幹部候補生のための研修会を企画することだ。
たった三名の人員で行っていると言っていた。まさにアメーバ経営だ。
彼は、京セラの女子駅伝部のカリスマ指導者の大森国男氏の元で、コーチを務めていた者だ。
 
彼が転勤の挨拶に訪れた時に「稲盛哲学」のことを私に説明しようとしたが、私に叱責されて、それ以来音沙汰がない。
 
稲盛氏については、まえまえから興味は持っていた。
京セラがバブル期に他社が不動産投資に走っていた時に、本業だけをこつこつとやり続け、バブ崩壊後に次々と上場会社が倒産していく時にも、しっかりと売り上げを伸ばしていた企業だ。
 
世話になった大森国男氏を稲盛氏が埼玉栄から引き抜いた時から注目していた会社だ。
埼玉栄は、佐藤栄太郎氏が率いる「佐藤栄学園」の一つのスポーツ学校だ。
 
京セラがブラック企業だとは決して思わない。
ただ、宗教とは怖いものだ。
使い方の方向を間違うと、人々を不幸な道に導いてしまうものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「張りすぎてもだめ たるんでもだめ ちょうどいいあんばいが一番いい」あいだみつを

8月25日
「張りすぎてもだめ たるんでもだめ ちょうどいいあんばいが一番いい」あいだみつを
 

 
こころのバランスのことだ。
 
張りすぎてがんばると失敗してしまうことが多い。
 
結果ばかりを見つめて、それまでの過程を見落としてしまうからだ。
 
あるいはいい成績を上げようと知らず知らず無理をしていることが多い。
 
だからといって目標も持たず、だらだらと過ごすことでもいけない。
 
心がたるめば、おなかもたるむ。
立派なメタボ体型となる。
 
「ちょうどいいあんばいが一番いい」
 

全柔連が宗岡正二氏を新会長に選出

『全日本柔道連盟は21日、東京・文京区の講道館で臨時の評議員会、理事会を開き、新日鉄住金会長兼CEOの宗岡正二氏(67)を新会長に選出した。
 
 宗岡氏は4代目の会長で、外部から初。就任会見で「柔道で鍛えられ、育てられた者として恩返しの気持ち。透明性のある組織に変えたい」と不祥事が相次いだ柔道界の信頼回復に意欲をみせた。』
 
『筑波大准教授で暴力指導を告発した女子選手を支援した山口香氏(48)ら3人が選ばれた。
 
8月21日には全柔連の監事に登用された。
 
全柔連は変わるかも知れない。
 
日本の古い体質として、告発者を裏切り者として扱うイメージがある。
 
特に、相撲界や柔道界などの、実績主義や既得権を大事にし、改革や組織に反対するものを徹底して排除する体質がある。
 
今回の全柔連がそれを嫌になるほど、国民に晒した。
組織に自浄作用が無く、じりじりと回りから責められ、今までの実績や人間性までもぼろぼろにされて始めて、今回のような恥ずかしい結果になってしまう。
 
なんとも、人間の欲の深さ、醜さが暴き出されてしまうようだ。
 
 
そのような意味で、新会長選出にしても、山口氏の登用にしても、これからの全柔連の明るい未来が見えたような気がした。
 
 
 

山口 香(やまぐち かおり
1964年12月28日 - )は、東京都豊島区生まれの元女子柔道選手、柔道指導者。
 
現在は筑波大学大学院准教授、全日本柔道連盟女子強化委員。
 
元筑波大学柔道部女子監督。
 
段位は六段。
 
得意技は小内刈。

人物

欧州と米国の女子柔道の方がレベルが高く、日本人女性柔道家はメダルに届くことが少なかった1980年代、第3回世界選手権で日本人女性柔道家として史上初の金メダルを獲得。
ソウルオリンピックでも銅メダル獲得など、日本女子柔道が世界のトップに通用することを証明した伝説の女子柔道家として「女姿三四郎」と称賛された。
2011年にはJOCの理事に選出された。
また、女子柔道強化選手による暴力告発問題では告発した選手のサポート役を引き受けていたが、2013年3月20日付けで新たに全柔連強化委員にも加わることになった。
さらに、4月1日には瀬古利彦の後任として東京都教育委員会の教育委員に就任した。
6月21日には日本バレーボール協会の理事にも登用されることになった。
8月21日には全柔連の監事に登用された。

略歴・戦歴

  • 1978~1987年:全日本体重別選手権10連覇(第1・2回:50kg級、第3~10回:52kg級)
  • 1980年(第1回)、1982年(第2回)、1986年(第4回)、1987年(第5回):世界選手権銀メダル
  • 1984年:第3回世界選手権 金メダル(日本女子史上初の快挙)
  • 1985年:第3回福岡国際大会金メダル(72kg級の田辺陽子と並んで日本人として初優勝)
  • 1986年:第4回福岡国際大会金メダル
  • 1988年:ソウルオリンピック銅メダル(当時は公開競技)
  • 1989年:筑波大学大学院体育学修士課程修了、同年現役を引退
  • 1993年:日本オリンピック委員会の在外研修制度で1年間イギリスに留学
  • 1998年:武蔵大学人文学部助教授
  • 2007年:武蔵大学人文学部教授
  • 2008年:筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授

考えてばかりいるとひがくれちゃうよ」あいだみつを

8月24日(土曜日)
 
「考えてばかりいるとひがくれちゃうよ」あいだみつを
 
O型の人と買い物に行くと心が折れる。
せっかく人混みの中、遠いところまでやってきたのに、気に入ったものが無いと言って買わないで帰ってくる。
 
私は、買い物は必要だから買う。
気に入ったものが無くとも、二番目のもので我慢する。
 
でも、O型の妻は、何日も前から考えていたもので、夢がふくらんでしまっていて、代わりのものでは、満足しない。
 
きっと「あいだみつを」はA型で、O型の奥さんに、言った言葉だろう。
 
「考えてばかりいるとひがくれちゃうよ」と。
 

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