fc2ブログ

プロフィール

のじさん

Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ねこは箱が好き

箱の中でストレッチ
 

 
ずいぶんとからだが柔らかいんだ。
 

 

スポンサーサイト



引退いきなり!元高見盛、解説者デビュー

 

高見盛 精彦(たかみさかり せいけん、1976年5月12日 - )
青森県出身
アマチュア相撲出身。
本名は加藤精彦(かとう せいけん)
角界のロボコップ
身長187cm、体重144kg、血液型はO型
年寄・振分として同部屋で後進の指導に当たっている
 
中学横綱
国体少年の部優勝
全日本選手権優勝(アマチュア横綱)の実績を重ねた。
青森県立弘前実業高等学校
日本大学経済学部卒業
 
 
「引退直後の人気力士の解説起用はこれまでもあるが、NHK関係者は「振分親方は序盤の早い時期に起用される可能性があり、そうなれば異例の対応となります」と説明。大横綱級の起用法となりそうだ」
 
「いい人」で「自分を飾らない個性」
なんか、ほっとする人柄だ。
 
アマチュア時代の成績は、抜群。
もう少しのところで大関になれた。
 
きっと素晴らしい親方になるだろう。
 
 
 
 

名前は「ミミ」メスネコ

本日、我が家にネコがやってきた。
 
名前は「ミミ」、メスネコ。
 

 
生まれは、2012年の9月
生後5ヶ月足らず
 

 
小さなキャリーバックから部屋に離されたばかり
不安そうなまなざし
 

 
アメリカンショートヘアー
シルバータビー
目の色はグリーン
 
 

 
さて、部屋の中を観察しようか
おそるおそる、部屋の探検だ。
 

 
相当警戒している様子。
 

 
椅子のしたから出てこない。
 

 
やっぱり子ネコ、ネコだましにじゃれること。
 

 
しばしネコと戯れる。
 

 
あはははは。かわいいぃなぁぁ。
 

 
やっぱり、ネコ、かわいいなぁ。
 

 

剛力彩芽の魅力って


最近、テレビで剛力彩芽がでている。
なんか、上戸 彩に感じが似ている。
上戸彩を少しくずした容姿。
 
そんなに美形だとは思わない。
でもなんか気になる。
目と目が離れている感じがする。
研ナオコほどではない。
 
なんども見ているうちに、かわいいなって思える。
 
「美人は飽きるが、ブスは慣れる」という感じか。
 
そう言えば、上戸彩が出てきたときにも感じた。
もっと美形のタレントがたくさんいたと思う。
 
美形のタレントは、なにか欠点が見えるとがっかりしてしてしまう。
特に下半身のだらしないタレントはうんざりだ。
 
 新垣結衣を始めて見たのは、コマーシャルだった。
名前は解らないが、なんか澄んだ笑顔で、横に移動している姿が、気になって仕方がなかった。
 
あの子も飛び抜けての美形ではなかったと思う。
 
 
 

日本をダメにした“B層”ってなんのこと? (週プレNEWS) - Yahoo!ニュース

 

適菜 収(てきな おさむ、1975年 - )
日本の著作家、哲学者。フリードリヒ・ニーチェの思想を解説する著作を多く発表している。
 
『日本をダメにしたB層の研究』。
テーマは現代版“大衆批判”。
著者 適菜収氏
 
 
 
 
 
以下全文引用
 
B層という言葉は、広告会社が作った言葉。
 
2006年の小泉郵政選挙の前に、自民党がスリードという広告会社に『メディアを使って選挙戦をどう戦うべきか』という分析をさせた。
そのときの企画書では国民がA層、B層、C層、D層に分類されている。
B層とは、『マスコミ報道に流されやすい、比較的IQが低い人たち』で、『具体的なことはわからないが小泉純一郎を支持する層』のこと。
広告会社は、彼らをターゲットに選挙戦を戦うべきだと分析した」
 
現在流通する商品のほとんどが彼らをターゲットにして作られている。
駄菓子みたいな音楽やロクでもないチェーン店が世の中を席巻しています。
要するに、価値の混乱が発生しているわけ。
 
A層はB層を相手にしたらお金になるから、マーケティングを駆使して、積極的にB層向け商品を作り続ける。
B層はそれにカモられ続けるわけです
 
B層は『近代的諸価値を信仰するバカ』。
重要な点は、B層は単なる無知ではないということ。
彼らは自分たちが合理的で理性的であることに深く満足しながら、『良識』『日常生活のしきたり』『教養』を無視する。
ニーチェも、こうした近代大衆社会のグロテスクな姿を予言していた。
現代日本ではそれがB層の暴走という形で顕在化している。
 
「まあ、なるべくB層がいないような店で飯を食ったりしています。携帯電話で料理の写真をパシパシ撮るような客のいない店ですね。私は基本的にはC層に向けて本を書いていますが、『何かがおかしい』と洗脳が解け始めているB層の皆さんにもぜひ読んでほしいです。いつまでもB層では人生はつまらないですよ」
 
一般国民のレベルを分類したものです。
 
A層はIQが比較的高く、構造改革に否定的。
財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど
B層はIQが比較的低く、構造改革に中立的ないし肯定的。
主婦層、若年層、シルバー(高齢者)層など。
小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持する。
 
C層は構造改革抵抗守旧派。IQが比較的高く、構造改革に否定的。
 
 
なるほど、自分がB層だったことに気づいた。
 
適菜 収氏か、38歳、若い哲学者だ。
IQ高そうな顔をしているな。

「いつまでもB層では人生はつまらないですよ」
 
余計なお世話だ。


田中 秀征(たなか しゅうせい)


田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年9月30日 - )
 
日本の政治家・経済学者。
福山大学経済学部客員教授。
衆議院議員(4期)、経済企画庁長官(第52代)、内閣総理大臣特別補佐(細川内閣)、新党さきがけ代表代行、
学習院大学法学部政治学科特別客員教授(2006年4月-2007年3月)を歴任。
 
 
 

アルジェリア人質事件から思う
テロをなくすために必要な日本の役割

「日本は、世界の有力国でも唯一の歴史的特性がある。それは、幾千年と続いてきたユダヤ、キリスト、イスラムの「三大一神教」の抗争と無縁であったことだ。
 
日本はユダヤ、キリスト、イスラムのどれも排除せずに受容できる立場にある。逆に、ユダヤ、キリスト、イスラム側からも安心して友好関係を結ぶことができる。
 
気になるのは私が20年前にアルジェリアに行ったときと比べれば、“親日度”はかなり低下していることだ。「欧米キリスト教国とは違う」という見方が薄れ、同一視されつつあるのだろう。
 
私は“イスラムの進撃”が今世紀最大の世界の不安定要因だと心配してきた。これを緩和するために日本は独自の役割を果たすべきである。」
 
 
 
何となく田中氏の行っている意味が理解できた感じがする。
 
日本は、仏教国である。
 
先の戦争では、「仏教」では戦えないので、国家権力は「神道」を利用した。
田舎に行くと仏壇の上に神棚がある。そして、床の間には「天照大神」の掛け軸が飾ってある。
 
こどもの頃、「先祖が仏様で、その先祖が神様なんだよ」と教えてもらった。
「神仏習合」「神仏融合」が戦争に利用されたようである。
 
「天皇」が「生き神様」として、絶対権力者に仕立て上げたのは明治時代の権力者たちである。
戦争当時の学校の先生は、「天皇のお言葉だ」と言うことで、こども達に君臨してきた。もちろん教え子を「特攻隊」にも送り出した。体罰なんて日常茶飯事だった。
 
敗戦して、天皇は「人間宣言」をし、マッカーサーは、天皇を利用して日本をうまく教育した。もちろん、日本国憲法もアメリカに都合の良いように作らせた。
 
「仏教」には、「空」の概念がある。
「色即是空」「空即是色」という般若心経の言葉。
「色」とは、宇宙のすべての形ある物質のこと。
「空」とは、実体がなく空虚であるということ。
「即是」とは、二つのものが全く一体不二であること。
 
「空」の意味が今ひとつわからないが、「イエスでもノーでもない、概念」という風に、理解している。
 
それが、「空」。
 
西洋の哲学(宗教)のユダヤ、キリスト、イスラムは、「イエスかノーの哲学」だと思う。
 
それらの哲学が生まれたのは、イスラエルやアラブの不毛の砂漠地帯であり、生きるのに厳しい世界。
 
「殺すか、殺されるか」の哲学。今回のアルジェリアの事件は、その典型例。
 
一方、仏教が生まれたのは、温暖で肥沃な穀倉地帯である。
仏教の教祖はお釈迦様、彼は「シャカ族の王子様」で、何不自由なく育った。
悟りを開いたその哲学が「仏教」。
シャカが菩提樹の下で、寝っ転がって、悟りを開いた。
 
そんな哲学には、人殺しをする思想は無い。
 
「空」とは、「妥協」の考えに通じる。
とりあえず、音便に、人命を第一に考え、お金を出す。
お金は後で儲けて取り戻す。
 
尖閣問題も「棚上げ」にして、「空」とする。
共産主義の中国人も「空」の概念を利用するのか。
 
 詳細は「空 (仏教)」を参照
 
 
 
最近の日本は右傾化している感じがする。
 
アメリカやイギリス、フランスのように「弱肉強食」の自由競争哲学に傾いてきているのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 

退職金減る…埼玉の教員110人が駆け込み退職

 
埼玉県職員の退職手当が2月から引き下げられるのを前に、3月末の定年退職を待たず今月末で「自己都合」により退職する公立学校教員が、県採用分で89人に上ることが21日、わかった。
今年度の定年退職者は3月末まで勤務すると、平均約150万円の減額となるという。
 
県教委によると、勤続35年以上で月給約40万円の平均的な教諭の場合、改定後は退職金が約150万円減る。だが1月末に退職すれば、受け取れない2月と3月の月給分約80万円を差し引いても、約70万円多くなる計算だ。
 
大半が退職金の減額前の駆け込みとみられ、中には高校の教頭や小中高の学級担任もいる。
 
 
 
世も末だ。
なんということか!
「恥を知れ!」
 
「埼玉県の教育は終わった。」
 
 

究極の体罰教育 戸塚ヨットスクール

昔、戸塚ヨットスクールという学校があった。
 
そして、現在でも戸塚ヨットスクールは存在している。
 
なぜ、今でも戸塚ヨットスクールは存在しているのだろうか。
 
スパルタ教育推進派の石原慎太郎維新の会代表も支援している。 
 
<戸塚ヨットスクール事件>
 
情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミでブームがおこり、親元からスクールに預けられる生徒が増加した。教育界のカリスマとしてマスコミは好意的にとりあげていたが、後に事件が発覚した。
 
訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生した。
1982年に起きた少年の死亡に関し、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから、1983年に傷害致死の疑いでスクール内を捜査。
 
捜査の結果、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者が逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。最高裁で校長の戸塚宏の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。
 
戸塚ヨットスクール事件
(教育的な暴行致傷・致死事件)
・1979年 少年(当時13歳)が死亡
・1980年 青年(当時21歳)が死亡
・1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込み行方不明
・1982年 少年(当時13歳)が死亡
 
戸塚ヨットスクール事件後
(校長の出所後)
・2006年 訓練生の25歳男性が逃走、水死体で発見
・2009年 訓練生の女性が寮3階より飛び降り死亡
・2011年 訓練生の男性が寮3階より飛び降り自殺未遂
 
 
参加費用など
入校金=315万円
期間は約1年間、追加費用なし

岩田 規久男氏(71) 日本の経済学者。学習院大学経済学部教授。


岩田 規久男氏(71) 日本の経済学者。学習院大学経済学部教授。
金融論・都市経済学。小宮隆太郎の弟子

橋本政権下の政策混乱と時期を同じくする
デフレの経済下において、日銀に非伝統的な金融政策(ゼロ金利政策・量的緩和)の導入を強く主張した。
 
 
安倍首相とみんなの党の渡辺氏との会談で、日銀次期総裁に名前が挙がった一人。
 
 
 
 
 
 
浜田宏一・内閣官房参与 が、日銀次期総裁候補に名前が挙がったことを受け、健康上の理由で固辞すると言っているため、その次の候補になるのではないかと思う。
 
 
岩田規久男・・・デフレ脱却プロセス.

 日本は破産しない!
 
デフレ脱却国民会議第2回シンポジウム
 
学習院大学の岩田規久男氏のデフレ脱却プロセス

1.中央銀行が客観的な目標を持ち、ベースマネーを増やし続けることにコミットする
 
2.予想インフレ率が上がる(=物価連動債の価格が上がる)
3.インフレを予想した人々(法人も含む)が、デフレ時代に死蔵していた現金で株や土地や外貨など値上がりしそうな資産を買い求める。(=普通預金から資産市場に資金が流れ始める。)
 
4.デフレ時代に貯め込んだお金は相当な額なので、しばらくの間はこのお金を回転させるだけで資金が賄える。いきなり銀行の貸し出しが増えることはない。
(アメリカでも日本でも大恐慌から脱出する際は3年ぐらい金利は上がらなかった)
 
5.景気が良くなってくると貨幣の流通速度を上げるだけでは資金が足らなくなる。この状態になって初めて銀行貸出の出番になる。
 
 
 
「日銀は資金をいくら増やしても民間に資金需要がない」というが、1と2をきちんと実施していない現状で、この言い訳は全く反論になっていない。
 
貸出は5の段階まで増えない。貸し出しが増えないということは金利も上がらないので、国債の暴落など起こるはずがない。
 
また、これはシンポジウムでは出なかった論点で、「日本は諸外国に比べて元々現金が沢山出回っている」という日銀の言い訳がある。
 
しかし、 日本では日常的な決済が基本的に現金で行われるため、カード社会の欧米にくらべて現金需要が高いというだけの話。
 
危機に対応してどれぐらい増やしたかという「姿勢」が問題なのであって、「元々現金を使う世の中だから現金の量が多かった」というのは何の反論にもなっていない。
 

運動部の指導方法とはどうあるべきか

今、体罰論が盛んだが、「良い」か「悪い」かという議論は、ナンセンスである。
 
そもそも「体罰」というのは学校教育法第11条に、「体罰は、いかなる 場合においても行ってはならない。」と書いてある。
 
つまり、法律で禁じられている。
 
体罰をすれば、それは、刑法で言う「暴行罪」、「傷害罪」である。
 
怪我をさせなければ「暴行罪」、怪我をさせれば「傷害罪」だ。
 
先の高校教師の「体罰」は、口の中を切って怪我をさせたので「傷害罪」が成立し、「十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」と言うことになろう。
 
もっとも、「傷害の結果」の度合いが少ないので、少しは罪が軽くなるだろうが、「犯罪」であることには違いない。
 
教育をするのに、教師が犯罪を犯すことは、「良い」か「悪い」かという質問にすれば、その質問が如何にナンセンスかと言うことがわかる。
 
 
「うちのガキは、出来が悪いので、家でもぶっとばしている。先生も、悪いことをしたらうちのガキをぶっとばして下さい。おれは、世間の親とは違うから。まったく最近の親たちは、子供に甘い。」
 
そんなことを言う親がいたりする。
 
「教師に、法律を犯してまでも、子供を正して、面倒を見なさい。」と言うことか。
 
 
話をもどして、それでは、なぜ運動部の教師は、体罰をするのか。
 
「気合い」であり、「威嚇」であり、「権威」であろう。
 
「気合い」は猪木選手が行っている儀式である。
 
「気合いをお願いします。」と選手が監督に言う。
テレビでも見たことがある。
柔道選手が、監督に両手でほほをバンと叩かれる。あるいはおしりをバンと叩かれる行為だ。
 
「威嚇」は「脅し」である。
気の弱い選手に、あたまを小突いたりして、より強い運動をやらせたりする。
「苦しさから逃げるな」というのを「痛み」で伝える。
しかし、そのような気の弱い選手は、試合では必ず挫折する。
 
「権威」とは、監督の自己満足である。
俺は、おまえ達からすると「神に近い存在」であるという表現。
無抵抗な選手に「びんた」や「げんこつ」をして、「はい」と言う返事を言わせる。
監督よりも賢い選手は、そのような神の儀式を、心の中で常に軽蔑しているだろう。
「このバカ監督、どうにかならないか」と思っている。
 
部室で仲間が叩かれている時の回数をみんなで数えていた。
あのバレー部の監督がこれに当たる。
「選手達からは、あのバカ監督、いつか教育委員会に訴えてやる。」と思って、回数を記録していた。
 
あまり意味のない「体罰」をなぜ、愚かな指導者達は、選択してしまうのであろうか。
 
それは、「即効性」である。
体罰の魅力は、「即効性にある。」
 
言葉で何回言っても、理解力のない選手は、監督の言うとおりの行動がとれない。
 
しかし、体罰で「恐怖と痛み」による指導をする。
 
そうすると一回で、選手は監督の言うとおりの行動をする。
 
そのことが、未熟なレベルの低い監督にとっては、魔法のような指導技術だと思いこんでしまう。
 
いったん監督が「体罰の即効性」を信じてしまうと、なかなかそこから抜け出せない。
 
あのバレー部監督が、過去に「3ヶ月の停職処分」を受けたのにもかかわらず、なんども体罰を繰り返していたのが、それを物語る。
 
しかし、監督が体罰から抜け出せる場面がある。
 
それは、全国大会の決勝で優勝を何度か経験することだ。
 
選手におけるプレッシャーは、監督の体罰とは比較にならない。
 
桑田選手が「体罰はなんの意味もない。」といった言葉は重い。
 
三流選手であった橋下市長が、最初は体罰を受けたことを、肯定していた場面があったが、桑田選手の記事を読んで、すぐに撤回した。
 
世の中にいる全国で1,2を争う指導者は、体罰の無意味さを、誰よりも知っていると思う。
 
運動部の指導に限らず、指導は、「狭き門より入れ」と言うことである。
 
即効的な手段ではなく、回り道してでも、時間をかけて、あきらめず何度も何度も繰り返し指導すべきである。
 
昔、私は体罰教師であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

| ホーム |


 ホーム  » 次のページ