休日だというのに、来るはずの男が来ない。
ゴルフにでも行ったのだろうか?
午後になり、そろそろ日が落ちる頃に畑にやって来た。
学校でのお仕事だったようだ。
いつも忙しく、ゆっくりと話す時間は無い。
今日は、久しぶりに教育の話をした。
彼の学校では、今の時期に3年生の進路指導で、校長面接を行っているという。
いまでは、どこの学校でも校長面接を取り入れているようだ。
お昼休みや放課後に、1日7,8名の受験生の面接指導をするのである。
子どもたちにとって、校長室で校長先生との面接は緊張し、実際の高校入試での面接と同じような効果がある。
普通は、担任が面接でどう答えたらいいかを綿密に指導して、子どもたちが校長先生に聞かれても、しっかり答えられるように何度も訓練する。
その校長面接での話であった。
ある時、とても問題のある生徒と面接することになった。
その生徒は、勉強嫌いで成績もとても悪かったようだ。
その事もあってか、担任の女性教師と上手く行っていなくて、逆らったり言葉遣いも乱暴で、担任もほとほと困り果てていたようだ。
当然ながら、そのような子は校長先生に対しても、警戒心が強く、説教をされるのではないかと、身構えてくる。
案の定、何を聞いても下を向いてぶっきらぼうな答えばかりであったようだ。
そのような場合校長先生は、担任を呼び出して、どのような指導をしているのかを聞いたり、その子にも面接の大切さを指導したりするのが普通である。
しかし、友人は違った。
「高校に行きたい気持ちがあるなら、私と一緒に頑張って行こうよ。どんなことでも力になってあげるから、勉強も少しずつがんばってやっていこうよ。」と、優しく励ましたという。
そうすると、その子は顔をあげ、彼の目をじっと見て『うん』とうなづいたという。
そして、面接が終わって校長室を去る時、『ありがとうございました。』と云って帰って行ったという。
担任にも親にもそんな素直な態度を取ったことは無かったという。
たったそのことで、友人はとても良い気持ちになったと話してくれた。
私は、彼に今日はとてもいい話をしてくれたと言った。
どんな子どもでも、親や先生に好かれたいと思っている。
そして、誰でも勉強のできる子になりたいと願っている。
しかしながら、勉強する習慣が身についていなかったり、理解力が人よりも落ちている場合などで、知識の積み重ねが出来ていない子もいる。
学年が上がるにつれて、みんなとはどんどん差がついて行ってしまう。
子どもにとっては高校受験は、人生の最初の厳しい選択を迫られる一大行事である。
クラスの全員が進学を希望し、高校入試は競争試験である。
担任からは、そんな成績では行く高校なんて無いとまで、脅かされることもある。
成績の悪い子は、将来に対して不安で仕方のない毎日を送っていることだろう。
親は、顔を合わせるたびに勉強しろと怒る。
そのような子供に、担任は親身になって、将来の進路を考えてやる事が大事である。
しかし、現実は反対である。
成績の悪い子は、切り捨てられたり、見捨てられてしまうことがある。
そのような子に、先生が口では心配しているように話しても、子どもには見透かされている。
『俺のようなバカは、先生は嫌いに違いない。心配なんか、誰もしてくれない。』と。
友人のことばは、本心からでたものである。
彼と担任との関係も知っているし、親との関係も知っている。
ここで、自分が彼を支えてやらなかったら、誰が彼を救ってあげられるかと。
『私と一緒に、頑張って行こうよ。』とは、子どもと同じに方向に向いているのである。
子どもだけが頑張るのではない。
校長先生が彼の味方になって、一緒に頑張ってくれると言っているのである。
担任からも見捨てられていると思っている子どもが、学校で一番偉い校長先生が、自分の味方になってくれると言っている。
この言葉は、彼にとってどれほど嬉しい言葉だったか。
学校が荒れたり、新聞沙汰になったりするのは、子どもが悪いのではない。
学校のどこにも、問題を解決する最後の砦が無いからだ。
たった一人でも本気で問題を解決しようとする者がいれば、大ごとにはならないものだ。
その一人は、必ずしも校長先生でなくとも良い。
担任が一人で頑張っても、出来ることもある。
出来なければ、誰かに助けを求めればいい。
そして、輪を広げていけばいい。
最後の砦の校長先生が、温かい心を持っていれば、たった一人でも学校を守ることができる。
彼のような校長先生が一人いれば、学校は安泰である。
良くなることはあっても、学校が悪くなることは無いだろう。
これは断言できるものである。
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