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Author:のじさん
200坪の菜園に100種類の野菜を育てる。畑の一画に秘密基地を作ってにわとりや金魚、メダカを育てている。冬には薪ストーブを燃やして暖を取り、コーヒーを飲む。都会に近い所で田舎風の暮らしを求めて、定年後の余暇時間を楽しんでいる。そんなライフスタイルの情報を発信していきます。

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母娘心中 いじめが原因 仙台市






『仙台市内の住宅で昨年11月、小学2年の長女(8)と母親(46)が無理心中したとみられる事件があり、この長女の父親が19日、記者会見し、2人が死亡したのは長女が通っていた学校でのいじめが原因だと訴えた。父親を支援する「全国自死遺族連絡会」は同市教育委員会に対し、21日にも、第三者委員会の設置などを求める要望書を提出する方針。

 父親によると、市立小学校に通っていた長女が1年のころから、同学年の女子児童2人から仲間はずれにされたり、暴力を振るわれそうになったりするいじめを受けていたという。昨年5月、長女が母親に相談して発覚、直後に学校に相談したが必要な対応がとられなかったという。

 長女は7月、「死んでしまいたい。生きていていいことがない」などと口にするようになった。両親は学校側にも伝え、校長に女子児童2人とその両親を交えた話し合いの場を設けるよう継続的に要望していたが、実現しなかった。市教委や弁護士会にも相談したものの、解決に至らなかったという。

 母親と長女は心身ともに調子を崩し、11月29日に事件が起きたと主張、父親は「学校と加害者に謝ってほしい」と語った。』



今朝のTVの番組で取りあげられていた。

被害者の訴え





学校側の回答




ネットの声














とても辛い事件である。

父親が訴えたのは、妻と子どもが世間から責められたことがー番の原因だと思った。
『いじめが原因で二人は死んだ。』虐めた当事者やその親、守る責任のある担任や校長に謝って欲しいとの訴えである。

いじめ問題の解決の難しさは、いじめを特定することである。

犯罪解決のプロの警察組織であっても、ストーカー殺人を食い止めることは難しい。

日本は、法治国家だから『疑わしきは無罪』となる。
担任教師には、虐められている子だけでなく、虐めている子も分かるものだ。

しかし、その証拠をつかむのが難しい。
すべて『らしい』という憶測や推量のレベルだ。

虐められているとの訴えだけで、その相手を呼び出し尋問しようものなら、大変なことが起こる。
疑われたショックで、学校の屋上から飛び下りて自殺してしまうかも知れない。

あるいは、いじめ側の親を呼び出したらどうだろうか。
証拠も無いのに、どう納得させ、対策をお願いすることができようか。

学校の責任は、虐めている子と虐められている子
の両方に対してある。
どちらかの指導をすれば、解決するものではない。

親には我が子を守る義務がある。
親だけが、子の命を守れる最後の砦であると言うのは、酷なことだろうか。
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神戸市の中学校の校長、市教委の隠蔽




今時、こんな事が隠蔽出来ると思っているのだろうか?

教員の中には、どうにかして自民党政権を潰したいと考えているものが、わんさかと居るのに、格好の攻撃ネタを与えてしまったようなバカさ加減だ。リークされるのにきまっているだろうが。

遺族にとっては、居たたまれない行為だ。
こんな校長のいる学校に通わせていたのかと、悔やんでも悔やみきれないだろう。

校長や教育委員会の幹部は、即刻首だ。

でなければ、教育長や市長は辞任しろ。



アメフトの加害者に思う。

やっぱり、監督やコーチにどんなプレッシャーを掛けられたとしても、相手が油断している所を、後ろから突進して、タックルをかける行為はやってはいけない。

やった後に、後悔しても後の祭りだ。

運が悪ければ、被害者の脊椎を損傷させ、一生歩けない大ケガを負わしてしまったかも知れない。

結果としてアメフトを辞める決意をしたが、それだけの良心があるのなら、相手を怪我させるタックルをするなら試合に出してやると言われた時に、きっぱりと出場を諦めることができたはずだ。

自分の欲望に負けて、あのような酷い行為をしてしまっては、オームの死刑囚たちと変わらないじゃないか。

20才そこそこの若者だから、あのような酷い監督やコーチに、ノーと言えなかったとは、思えない。

人間は、小学生だって駄目なことは、ダメだと言える。

自分がだらしが無かったから、レギュラーを外されたと思う。
そして人間カが無かったから、レギュラーに戻りたいとの欲望に負け、あのような狂気のプレーをしてしまったと思う。

怪我をさせろ、殺せとは、監督もコーチも言っていない。

決して、私は監督やコーチに責任が無かったとは思っていない。
酷い指導者達だと思う。

だからと言って、あのような行為を選択してしまう人間ではいけないと思う。



小学校の部活動廃止

名古屋市 
市立小学校の部活動廃止 教員の多忙化を解消へ
                   毎日新聞201835 1153
 
『名古屋市教育委員会は5日、市立小学校の部活動を2020年度末で廃止する方針を明らかにした。

社会問題になっている教員の多忙化を解消し、授業などで児童に向き合う時間を確保する狙い。

21年度以降は、教員が携わらない形で、児童が運動や文化活動の機会を確保する方法を模索する。

同日の市議会本会議で、鵜飼春美市議(民主)の質問に杉崎正美教育長が「21年度以降は教員が携わらない新たな活動のあり方を検討する」と答えた。

市教委によると、部活動は教員の「自主的な活動」だが、顧問になることをほぼ強制される側面がある。
土日も出勤し、授業準備の支障となることもある。

21年度以降は、地域や民間の活力導入なども含め幅広く検討するという。

市立小学校の261校すべてに部活動がある。運動系が986部、文化系が227部という。

部活は学校教育活動の一環として、希望する児童のみを対象に放課後などに実施される。政令指定都市では京都市や熊本市の小学校でも行っている。』





私が大学時代に、当時の体育系の講義では、教授が将来は、日本は部活動は社会体育に移行されるだろうと言っていた。
40年以上も前の話である。
社会体育に移行どころか、社会教育という言葉さえあまり聞かれなくなってしまった。
生涯学習なんていう言葉で、すべてが吸収され、何が何だかわからなくなってしまった。

義務教育の内容は、勉強以外は、何でも教えている感じがする。
勉強は、大手の塾や家庭教師のトライなど、民間が頑張っている。

「食育」と云う教育内容がある。
給食の時間、教師が子どもと一緒に食べながら、教育するのである。
先日「服育」なんかを意図して、アルマーニの制服に決めた校長が問題になっていた。
「生活指導」「進路指導」「道徳教育」「性教育」「家庭訪問」「林間学校」「修学旅行」
「男女交際」「同和教育」「運動会」「文化祭」・・・・
なんでも、学校で教える。
教える教師は、そんなこと大学では習っていない。

小学校の部活動で一番困ることは、全くの「ど素人の教師」が子供たちに専門的なことを教えてしまうことである。
正しければ、いいのであるが、全く正反対のことを教えてしまう危険性がある。

人には、利き足、利き腕というものがある。
左バッターと右バッター、テニス、卓球・・・
通常は利き腕でバットやラケットを握る。

しかし、小学生の段階では、利き足、利き腕が筋肉の発達が未熟なために、わからないことがある。

ある熱心な小学校の先生が、すべて子どもに任せてあると言ったことがある。
その先生の教えた子を中学生になって私が受け持ったことがある。
女の子であったが、ハードルをやらせようとしたら踏切足が反対であった。
さらに、スタートの右足と左足の位置が反対であった。
スタートは何とか直せたが、ハードルの跳び方はとうとう直せなかった。

100mで全国出場したが準決勝で敗退してしまった。
彼女がハードルを普通に跳んでいたなら、全国で入賞できる選手になれたかもしれない。

素人の先生には、一生懸命勉強をする先生とそうでない先生がいる。
勉強しないで勝つことばかりを強要する先生に、出会った子どもは不幸である。

ある小学校の男の先生で、勝利至上主義かと思われる先生がいた。
朝から1000mのタイムトライアルを3回ぐらいやる。
しかも、毎日タイムトライアルをやって、勝ち残った選手を大会に使う。
地獄のような練習だ。

その先生に教わった子供たちは、陸上競技が大嫌いになって中学校に入学してくる。
そのような子どもに声を掛けて、陸上部に勧誘すると泣き出す生徒もいた。

小学校の部活動は、子どもが大好きでスポーツ指導員などの民間の専門家を雇えばいいと思う。
アメリカのスポーツ指導は、昔から民間人専門家が放課後に教えていた。

フィギュアスケートやテニス、ゴルフ、卓球、野球、オリンピック選手たちは、子どもの頃から親が熱心で、有料のクラブチームに預けられて、専門的に教えてもらっている。

そこまでは、専門的でなくとも、もう少し親の負担金を安くして、市が補助金を使えば、すぐにできることだと思う。

子どもたちにとって、その方がどれだけ幸せなことか。




学校の教師の働き方改革とは

公立小の副校長が「若い教師が午後5時に帰る」「やる気がない」と投書 「長時間やること=素晴らしいは本当にやめて」と疑問の声
               201832 1327分 キャリコネニュース   
 
『教員のブラックな労働環境が問題になる中、17時に帰る教員を"やる気がない"と断じた、公立小・副校長の投書が話題だ。副校長は、読売新聞(228日付)の「先生の相談室」に、
先輩が仕事をしているのに午後5時には帰宅し、家でも教材研究をしない教師もいます
若い教師にやる気を起こさせるには、どうすればいいのでしょうか
と投稿し、回答者に助言を求めている。

職場に残ったり、自宅で仕事をしたりするのが良いことだと思っているようだ。これに対し、ネットでは「長時間やること=素晴らしいは本当にやめてほしい」と疑問の声が噴出している。


たとえブラックと言われようが、手抜きは許されません
悩み相談の回答者は、都立足立新田高校長の鈴木高弘さん。
「日々、子どもたちに接している教師の責任は重いのです。たとえブラックと言われようが、手抜きは許されません。若い先生には、一日でも早く『教師が自分の天職だ』という意識をもって、子どもと向かい合ってほしい」
と若い教師に呼びかけ、悩みを寄せた副校長には「問題だなと思ったら、ためらうことなく動きましょう」と回答した。鈴木さんも教師は限界まで精いっぱい働くべき、と考えているようだ。

ネット上ではこれに対し、「こういう人に限って『子供のため』とだらだら遅くまで仕事をすれば偉いと思い込む」といった批判の声が上がっている。評価されるべきはあくまでも仕事のアウトプットであって、どれだけの時間を掛けたかではない、ということだろう。

教師には仕事以外の時間を持つことが大切だという声もあった。
5時に帰宅し、仕事から離れてプライベートを充実させることが教師の人間力を磨き、魅力ある教師へと成長させるという考えが持てないもんかな


特に小学校や中学校の先生には、授業のスキルだけでなく、生活指導や進路指導を行うだけの人間性が必要になってくる。そのためにはプライベートの充実も大切だろう。
日本の教員の労働時間は国際平均より年間200時間長い一方で、授業時間は平均よりも短い
文部科学省の「教員勤務実態調査」によると、教員の1日当たりの平均勤務時間は、平日で小学校11時間15分、中学校で11時間32分となっている。土日は小学校で1時間7分、中学校で3時間22分だ。
名古屋大学の内田良准教授も、ヤフー!個人の記事で「『過労死ライン』(月80時間以上の時間外労働)を超える教員が、小学校で3割、中学校で6割」と学校の「ブラック」ぶりを指摘している。こうした教員の長時間労働を是正するためにも、残業を美徳とする考え方を改めて、効率の良い働き方を追求することが必要になるだろう。

また日本の教員は、労働時間は長いのに、授業に当てる時間は短いという調査もあるOECDの調査によると、日本の公立小学校から高校までの教員の労働時間は、年間1891時間(2015年)で、加盟国平均よりも200時間多いという。
しかし授業にあてる時間は小学校742時間、中学校610時間、高校511時間で、いずれも加盟国平均より短い。

課外活動、職員会議など授業以外の業務に時間がかかるからだという。残業の削減のためには、授業以外の仕事を縮減していくことが求められそうだ。』


私の勤めている会社に、対照的な二人のパートの男がいる。
一人は、沖電気を早期退職して、パートになった64歳の男。
もう一人は、やっちゃ場の仕事をしていて何かの事情でパートになった67歳の男。

やっちゃ場の男は、沖電気の男を時々批判する。
「自分の仕事以外は、なにもやらない。」と。
どういうことかと云うと、二人とも家電製品の整備を担当している部署にいて、仕事をしている。
やっちゃ場の男は、整備された商品を運んだり、整理整頓する仕事。
一方、沖電気の男はリースから帰ってきた家電製品の見極めの仕事。
つまり、故障していないかどうかを点検し、直せる物は彼が直し、そうでない物はメーカーに依頼する。それを見極める極めて専門的な仕事。
社員は、高卒の作業員がほとんど、彼のような技術者は一人もいない。

やっちゃ場の男に、沖電気の男の仕事の価値がわからない。
彼には、不労所得があり、働かなくとも楽に暮らしていける。それどころか彼のパートで得る給料は、すべて税金で持って行かれてしまうという。

それでは、彼は何のために働いているか?
暇つぶし以外の何物でもない。
彼は、一日中仕事を見つけて、動き回っている。
「働く」という字は、彼にとって「人が動いている」と云う意味に理解しているようだ。
一時間半前に会社に来て、動き出す。
どんどん社員の仕事を奪っていく。

やっちゃ場の男の時給は、890円。
一方、沖電気の男の時給は、1100円。
物を移動するだけの仕事と仕事を割り振る見極めの仕事との価値の違いは歴然である。

沖電気の男の「働く」と云う字は「人を動かす」と云う意味だと思う。
一つの家電を見て、女子パートに回して清掃するものと、自分が修理するものとメーカーにだす物とを判断し、見極める仕事で、高い専門的知識が無ければ出来ない仕事である。

やっちゃ場の男の仕事は、彼のやる気次第で、どんどん増えていく。
誰がやってもできる仕事を、彼がどんどん奪っていくからだ。
朝の早くから夜の遅くまで、「動き続ける」のが「自分の天職だ」と信じているからだ。

上の記事に出てくる質問者の副校長と回答者の高校校長と、同じ種類の人間である。
夜中の遅くまで、職員室の電気を煌々とつけ、教材研究の振りをして暇つぶしをしている教師を良しとし、5時に帰って社会勉強や自分の教養を高めている教師を侮辱している。

恥ずかしさも無く「教師を天職」だと思えという者ほど、いったん事が起こった時に、隠ぺい工作をし、保身を真っ先に考えるものがどれだけ多いことか。
教師を天職だと本気で思っているものは、管理職などにはならないし、人にそれを求めない。

管理職という者は、自分にできなかったものを、部下に求め、叱責する。
そして、無理なことをやらせ、若いものを追い詰め、心を疲弊させていく。
およそ教育者とは、対極にある者たちだ。

悩みごとの相談者などは、同じ思想を持つ勘違い管理職と傷をなめ合っているような回答しか出せない。そのような者がいなくならない限り、学校の教師の働き方改革はすすまない。














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