公立小の副校長が「若い教師が午後5時に帰る」「やる気がない」と投書 「長時間やること=素晴らしいは本当にやめて」と疑問の声
2018年3月2日 13時27分 キャリコネニュース
『教員のブラックな労働環境が問題になる中、17時に帰る教員を"やる気がない"と断じた、公立小・副校長の投書が話題だ。副校長は、読売新聞(2月28日付)の「先生の相談室」に、
「先輩が仕事をしているのに午後5時には帰宅し、家でも教材研究をしない教師もいます」
「若い教師にやる気を起こさせるには、どうすればいいのでしょうか」
と投稿し、回答者に助言を求めている。
職場に残ったり、自宅で仕事をしたりするのが良いことだと思っているようだ。これに対し、ネットでは「長時間やること=素晴らしいは本当にやめてほしい」と疑問の声が噴出している。
「たとえブラックと言われようが、手抜きは許されません」
悩み相談の回答者は、都立足立新田高校長の鈴木高弘さん。
「日々、子どもたちに接している教師の責任は重いのです。たとえブラックと言われようが、手抜きは許されません。若い先生には、一日でも早く『教師が自分の天職だ』という意識をもって、子どもと向かい合ってほしい」
と若い教師に呼びかけ、悩みを寄せた副校長には「問題だなと思ったら、ためらうことなく動きましょう」と回答した。鈴木さんも教師は限界まで精いっぱい働くべき、と考えているようだ。
ネット上ではこれに対し、「こういう人に限って『子供のため』とだらだら遅くまで仕事をすれば偉いと思い込む」といった批判の声が上がっている。評価されるべきはあくまでも仕事のアウトプットであって、どれだけの時間を掛けたかではない、ということだろう。
教師には仕事以外の時間を持つことが大切だという声もあった。
「5時に帰宅し、仕事から離れてプライベートを充実させることが教師の人間力を磨き、魅力ある教師へと成長させるという考えが持てないもんかな」
特に小学校や中学校の先生には、授業のスキルだけでなく、生活指導や進路指導を行うだけの人間性が必要になってくる。そのためにはプライベートの充実も大切だろう。
日本の教員の労働時間は国際平均より年間200時間長い一方で、授業時間は平均よりも短い
文部科学省の「教員勤務実態調査」によると、教員の1日当たりの平均勤務時間は、平日で小学校11時間15分、中学校で11時間32分となっている。土日は小学校で1時間7分、中学校で3時間22分だ。
名古屋大学の内田良准教授も、ヤフー!個人の記事で「『過労死ライン』(月80時間以上の時間外労働)を超える教員が、小学校で3割、中学校で6割」と学校の「ブラック」ぶりを指摘している。こうした教員の長時間労働を是正するためにも、残業を美徳とする考え方を改めて、効率の良い働き方を追求することが必要になるだろう。
また日本の教員は、労働時間は長いのに、授業に当てる時間は短いという調査もある。OECDの調査によると、日本の公立小学校から高校までの教員の労働時間は、年間1891時間(2015年)で、加盟国平均よりも200時間多いという。
しかし授業にあてる時間は小学校742時間、中学校610時間、高校511時間で、いずれも加盟国平均より短い。
課外活動、職員会議など授業以外の業務に時間がかかるからだという。残業の削減のためには、授業以外の仕事を縮減していくことが求められそうだ。』
私の勤めている会社に、対照的な二人のパートの男がいる。
一人は、沖電気を早期退職して、パートになった64歳の男。
もう一人は、やっちゃ場の仕事をしていて何かの事情でパートになった67歳の男。
やっちゃ場の男は、沖電気の男を時々批判する。
「自分の仕事以外は、なにもやらない。」と。
どういうことかと云うと、二人とも家電製品の整備を担当している部署にいて、仕事をしている。
やっちゃ場の男は、整備された商品を運んだり、整理整頓する仕事。
一方、沖電気の男はリースから帰ってきた家電製品の見極めの仕事。
つまり、故障していないかどうかを点検し、直せる物は彼が直し、そうでない物はメーカーに依頼する。それを見極める極めて専門的な仕事。
社員は、高卒の作業員がほとんど、彼のような技術者は一人もいない。
やっちゃ場の男に、沖電気の男の仕事の価値がわからない。
彼には、不労所得があり、働かなくとも楽に暮らしていける。それどころか彼のパートで得る給料は、すべて税金で持って行かれてしまうという。
それでは、彼は何のために働いているか?
暇つぶし以外の何物でもない。
彼は、一日中仕事を見つけて、動き回っている。
「働く」という字は、彼にとって「人が動いている」と云う意味に理解しているようだ。
一時間半前に会社に来て、動き出す。
どんどん社員の仕事を奪っていく。
やっちゃ場の男の時給は、890円。
一方、沖電気の男の時給は、1100円。
物を移動するだけの仕事と仕事を割り振る見極めの仕事との価値の違いは歴然である。
沖電気の男の「働く」と云う字は「人を動かす」と云う意味だと思う。
一つの家電を見て、女子パートに回して清掃するものと、自分が修理するものとメーカーにだす物とを判断し、見極める仕事で、高い専門的知識が無ければ出来ない仕事である。
やっちゃ場の男の仕事は、彼のやる気次第で、どんどん増えていく。
誰がやってもできる仕事を、彼がどんどん奪っていくからだ。
朝の早くから夜の遅くまで、「動き続ける」のが「自分の天職だ」と信じているからだ。
上の記事に出てくる質問者の副校長と回答者の高校校長と、同じ種類の人間である。
夜中の遅くまで、職員室の電気を煌々とつけ、教材研究の振りをして暇つぶしをしている教師を良しとし、5時に帰って社会勉強や自分の教養を高めている教師を侮辱している。
恥ずかしさも無く「教師を天職」だと思えという者ほど、いったん事が起こった時に、隠ぺい工作をし、保身を真っ先に考えるものがどれだけ多いことか。
教師を天職だと本気で思っているものは、管理職などにはならないし、人にそれを求めない。
管理職という者は、自分にできなかったものを、部下に求め、叱責する。
そして、無理なことをやらせ、若いものを追い詰め、心を疲弊させていく。
およそ教育者とは、対極にある者たちだ。
悩みごとの相談者などは、同じ思想を持つ勘違い管理職と傷をなめ合っているような回答しか出せない。そのような者がいなくならない限り、学校の教師の働き方改革はすすまない。